トリノの街角でジェントリフィケーションを問う――「都市はよごれなきショーウィンドウではない」(ジョヴァンニ・セーミ〔トリノ大学・社会学者〕へのインタビュー)

2019/12/13
インタビュー・翻訳・編集:北川 眞也

セーミ氏の写真-s
ジョヴァンニ・セーミ

2019年3月8日 トリノ

 ジョヴァンニ・セーミ(Giovanni Semi)は、トリノ大学の文化・政治・社会研究科の准教授である。専門は社会学で、イタリアではジェントリフィケーション研究の第一人者でもある。2015年には著書『ジェントリフィケーション――すべての都市がディズニーランドのようになる?』(未訳)(Gentrification. Tutte le città come Disneyland?, Bologna: il Mulino, 2015)を出版している。
 セーミ氏とかれの同僚たちは、2019年2月25日、「トリノで何が起こっているのか」と題された集会を開いた。それは直接には、トリノのスクウォット空間「アジーロ・オックパート(Asilo Occupato)[占拠された保育園]」が強制排除されたことに端を発するものだった。この排除に伴い、トリノの街は前例のない軍事化にさらされた。アジーロのあったアウローラ地区の道路は、イタリア各地から集められたとも言われる警察官によって封鎖され、住民たちは地区の出入りをたえずチェックされ、全面的な管理が数週間にわたってなされた。五つ星運動の政治家であるトリノ市長をはじめ、ほとんどの政治家たちはこの手法を支持した。
 トリノの軍事化、安全保障化、さらには「品」の法制化などの現象は、この街で進行してきたジェントリフィケーションの過程とは切り離せないものではないのか。すでに貧民、移民、社会的周縁者、さらには女性、労働者、さまざまな社会運動を排除したり犯罪者化したりし、かれらの存在それ自体を「都市」にそぐわないよう見せかけたりしているジェントリフィケーションをやはり議論の俎上に載せなければならない。
 ちなみに、トリノのアッペンディーノ女性市長は、ゲイ・プライド(LGBTプライド)のパレードに参加し、学校給食にヴィーガンのメニューを導入する人物でもある。このような一見、差異に寛容とされる人物が、ジェントリフィケーションという階級的暴力を推し進めてしまうような事態は、決してトリノに限られた話ではなかろう。
 セーミ氏たちによる集会は、トリノ大学のエイナウディ・キャンパスにて行われた★01。セーミ氏に、500人が参加したとも言われるこのキャンパスでの集会開催の理由から、トリノという街を襲っている歴史的・現代的変化、さらにはこのような状況におけるさまざまな運動の現実について話をうかがった。


北川:時間をつくってくれてありがとう。トリノでここしばらく起こっている出来事を、この街に住む友人を介して、私たちはいくらかフォローしてきました。2019年2月の上旬に、アウローラ地区(Aurora)にあるアナキストの占拠空間「アジーロ・オックパート」が強制排除されました★02。24年にわたって活動してきた自主管理空間が排除されたわけです。これというのは、アウローラ地区、さらにトリノという街を襲っているジェントリフィケーションの過程と不可分であるようにも思えます。
 まずは、アジーロの強制排除についてうかがいたいと思います。なぜなら、それに関連する集会を、あなたは大学で開いたからです。またそこから、徐々にトリノという街全体へと話を広げて、この街で進行するジェントリフィケーションをめぐる状況について教えていただければと思います。
 なぜ集会を開こうと考えたのですか?

ジョヴァンニ・セーミ:実際のところ、集会は私だけが開いたものではありません。大学の同僚たちといっしょに開きました。私たちは、ここ数年ほどのあいだ、大学の外へ出て、都市のあちこちに存在する政治的経験とあらためて接続しなければならないと強く感じていたからです。これは必要不可欠なことであると。それというのは、多くの学生が逮捕されていたからです。その多くは、移民にかかわる闘争においてのことです。ヴェンティミッリア[イタリアのフランスとの国境にある街]、スーザ渓谷、フランスのカレーにおいて、学生たちは移民のための政治活動で逮捕されてきたのです。多くが、居住の権利をめぐるさまざまな実践、立ち退きに抗するピケ、法的支援窓口での活動(sportello legale)で逮捕されてきました。なかにはNO TAV運動のために逮捕された学生もいます。
 数年にわたって、こうして逮捕される学生の数がどんどんと増えていったのです。私たちはそれにとても驚愕しました。また、学生たちに対して責任も感じていました。私たちは授業でかれらに、都市への権利、政治的表現の権利、シティズンシップについて講義を行っているわけです。これらは、重要な事柄であると思います。しかし実践において、学生たちはさらに抑圧的となる国家によって責め立てられている状態にあるわけです。
 これが、以下の事実と結びつくのです。それは、このアジーロの強制排除が、この都市にとって、非常に重大で困難でもある象徴的瞬間だったという事実です。というのは、それは事実上、もっともラディカルな経験、また時間という視点でもみても、地区[アウローラ]にもっとも根付いた経験をふさいでしまうものだからです。この地区は、トリノでもっとも激しい変化を被っている地区でもあります。私たちは互いにこう言いあいました。時間を無駄にしている場合ではない、目を逸らすことはできないと。大学、いや大学全体ではなくて、私たち大学にかかわる研究者(accademici)が、この重大な局面において、何か有益な役割を果たしうるのではないかと。なぜなら、トリノの運動、一般的にはイタリアのあらゆる左翼の運動は、とても細分化されていて、今もなお話しあいを行うための共通のテーブルを設けることにとても苦労しているからです。これというのは、その歴史が、不信、細かな分裂、闘い、ときにとても暴力的な闘いでもあるからです。
 この意味において、私たちは、たぶん少しばかり中立的な空間を有していたのでしょう。それは、同僚たちが長年にわたって、信用に足る人物であることを示してきたからだと思います。いくらかの政治的、学術的な正当性を得ていたわけです。かれらは慎重を期して、こう言いました。「私たちはスペースを用意しよう。集会の以前に、そこでどのような言葉が発せられるかを決めるようなことは望まない。とにかく、私たちはスペースを保証する。そこにはあらゆる人びとが入ることができるし、そこで自分が考えていることを話してもよい。それは保証する」と。
 この重大な政治的局面において、これはトリノに大きく欠けていたものだったと思います。それゆえ、集会は大成功でした。率直に言えば、私は多くの人たちが参加してくれると思ってはいましたが、これほどの数の人びととは思ってもみませんでした。その理由は、私たちが第三者的な位置にあり、このようなオープンさを少しばかり保証できたからでしょうか。もし集会が「アスカタスーナ(Askatasuna)」あるいは「ガブリオ(Gabrio)」[両者ともにトリノの社会センター]によって開かれていたのなら、それとは別の人びとが参加するようなことはなかったでしょう。私たちが準備した集会は、すべての人びとにいくぶんはより自由に感じてもらえるものだったのかもしれません。だからこそ、この集会が必要でしたし、話しあうこと、相互に認めあうことが必要でした。顔を突きあわして、発言しあう必要があったのです。この劇的な政治的局面のことを、私たちみんながとても心配している、それに神経質になっていると。私たちは共同しなければならないのだと。それは、あまりにも状況が制御不可能なものとなっているからです。

北川:アウローラ地区は、貧しい人びとや移民がとても多く住んでいる場所であるということですが、少し歩いてみても、それは十分に感じ取れました。しかしまた、最近建てられたラヴァッツァ社の本社ビルや博物館が奇妙な存在感を発揮してもいました。いまここの景観という観点からしても、何かしら大きな変化、ジェントリフィケーションとも言いうる変化が明らかであるようにも思われます。このアウローラ地区は、どのような場所であり、実際、そこでは何が起こっているのでしょうか。 私の友人は、アウローラ地区への引越しを検討していたようですが、以前よりもはるかに家賃があがっていたために断念したとも言っていました。

セーミ:そうですね、この問いにこたえるには、やや遠いところからはじめなければなりません。なぜなら、いくぶん長い歴史的なパースペクティブがなければ、現在の変化を考察することはできないと思うからです。これが、以前から私が採用する問題への接近手法です。
 トリノは、一方において、脱工業化の非常に長期にわたる局面を現在も経験しているように思えます。それは1970年代にはじまりましたが、まだ終わりを迎えてはいません。現在はその最終局面にあるのかもしれませんが、とにかくそれはなおも長きにわたるものでしょう。これは困難かつ過酷な過程であるわけですが、なおも進行しているのです。この局面は、都市にかなりたくさんの空白、大量の工場が放置される状況を生み出しました。この放置された工場の地理をみてみるのが有益でしょう。すると、アウローラ地区は、なおも広大で著しいほどの空白で満ちていることがわかります。これが、私が明記しておきたい1つ目のことです。
 明記しておきたい2つ目は、以下です。このように述べたとはいえ、政治・経済をめぐる包括的な視点に立つなら、トリノは、非常に重大な転換をともなった復活の局面を経験してきたとも言えます。それは、1990年代から2006年の冬季オリンピックまでのことです。しかし、それは終わりを迎えました。オリンピックの2年後には、都市危機、公債危機、国際的レヴェルの経済危機が、トリノに到来しました。それは、都市を激しく急襲するものでした。それゆえ、公共サービスという見地からすれば、公的アクターの取り組みは、いっそう貧しいものとなりました。経済一般という枠組みからみても、都市は大いに貧しくなってしまいました。所得の危機は極めて甚だしいものであり、就業危機は極めて深刻なものだったのです。今もなおトリノ周辺の諸県では、若年層の失業率が40%に達しています。この数字はトリノを、ナポリ、パレルモ、バーリへと接近させるものです。こうしてトリノは、勢いのある経済的立ち直りを経験しているミラノからは非常に遠のいていっているわけです。
 この枠組みのなかで、地方行政には、何かしらの経済的発展を先導するための政治的意志も経済的資源もまったくありません。また、何をなすべきなのかということに関して、いかなるアイディアもありません。これはまた別の重大な問題だとは思います。とはいえ、もしアイディアがあったとしても、結局のところ、おそらくは資源を持ちあわせてはいないわけです。
 ということで、私たちは非常に重大な影響を与えている緊縮策、むしろ緊縮アーバニズム(austerity urbanism)の局面に身を置いていると言えるのですが、このただなかにおいて、都市に大規模な空白地帯が存在しているわけです。市場においては、実際のところ小規模ではありますが、いくつかのイニシアチブが存在しています。ある地区において、いやむしろ今現在においてはひとつのエリアが、ある場合には、歴史的中心地区と比べて90%も安価となっているのです。トリノの中心部からこのアウローラ地区までは、歩いて15分ほどです。とてもきちっと動いた公共交通手段であれば、10分のことです。したがって、地代の違い、ニール・スミスの用語で言うならば、地代格差(rent gap)が極めて大きなものとなっているのです。90%の格差があるわけですから。
 これが意味するのは、小規模の投機へと向かうイニシアチブ、思うに、とりわけ学生を対象とした小規模の活動、また小規模の専門的活動、あるいは少し規模のある企業活動にとって、今現在が有益な瞬間であるということです。なぜなら、極めて低価格でかなり広い面積を購入できるわけですから。なので、確実にこのゾーンに対する私的アクターからの関心、動きが存在しているわけです。
 けれども、このゾーンは、広範囲にわたる深刻な貧困によって特徴づけられていて、今もなお、歴史的中心地区と比べて、2、3年ほどはリーズナブルな生活を送れる望みはあると言えるのかもしれません。またそこには、移民にルーツをもつ住民が全体の30%ほど居住しています。アウローラ地区とバッリエーラ・ディ・ミラーノ地区[Barriera di Milanoは、アウローラ地区の北に位置し、中心部からはより遠い]は、都市全体でそれがもっとも高い割合を示している場所です。それゆえ、状況はとてもまずいもので、抗争に満ちています。そこには、公然と人種主義的態度をとる年配の白人住民が多く住んでいるし、とても弱い立場に置かれた貧しい外国人も数多く住んでいます。それゆえ、投機家にとっては理想的な解決策があるわけです。エスニックまた人種的抗争をてことして利用し、それから退廃、ドラッグ、密売といった議論を、都市再開発への強い圧力として利用できるからです。しかし目下のところ、再開発は公的なものを介したそれではない。ただ私的な再開発があるだけです。公的なものは微塵も力を有してはいません。私たちはそれゆえ、関連文献の見地からみても理論的見地からみても、市場によって引き起こされるジェントリフィケーションの完全なる状況のただなかにいるわけです。
 そうですね、でも私はこのことに少しばかり懐疑的でもあるのです。というのは、トリノはミラノではないし、ニューヨークでもないし、東京でもありません。トリノは地代がこのように低いわけですから、大規模な投資がなされる理由が存在してはいるのでしょう。しかし実際には、この瞬間において、市場は不在であるし、虚脱状態にあるのです。小規模の地元投機家たちがいるわけですが、たとえば大規模な国際企業投資を見出してはいません。かれらはこの歴史的瞬間においては、トリノではなく、ミラノで投資を行うに違いありません。したがって現在は、たくさんの小規模なアクターを伴った小規模な投機の局面であるというわけです。とはいえ、その影響はとても暴力的なものです。なかでも強制排除です。それだけではありませんが。

北川:住まいからの立ち退きもあるということですよね。

セーミ:もちろんです。立ち退き、立ち退きの地理もあるわけです。

北川:したがって、トリノのジェントリフィケーションは、ミラノなどのそれとは異なり、小さな企業を中心とした活動に特徴があるというわけですね。

セーミ:そうです。それが短期賃貸、ソーシャルB&B[Airbnbなど]、この種の活動のおりなす経済地理を、私が少し研究している理由でもあります。ミラノでは、大規模な企業投資が住宅を大量に購入して、それらをプラットフォーム上に載せているわけです。トリノでも同様のことを行っているいくつかの企業投資はありますが、それはただ歴史的中心地区においてのみのことです。このアウローラ地区においてのことではありません。というのは、観光業はトリノでも確かに存在しているわけですが、ミラノのように目立ったものではないからです。したがって、大規模な国際的基金も、今現在、トリノを購入してはいません。
 もちろん、トリノの歴史的中心地区には価値のある多くのエリアが存在しているのも事実です。思うに、カヴァッレリッツァ[Cavallerizza Realeは、かつてサヴォイア王家の馬小屋として用いられていた巨大建造物。占拠した人びとによる文化・芸術活動の場として用いられてきた★03]がそうでしょう。もし今とは別の歴史的時代であったなら、瞬く間にこれらのエリアは購入されていたことでしょう。国際的な大規模ホテルによって、あるいは年金基金によって。この瞬間においては、市場はありませんし、国際投資家もいません。かれらは、投資銀行を通じて、株式移転を行うさまざまな企業を通じて、数年にわたってそれを市場に販売しようとしてきたわけです。しかし、かれらは市場を見出してはいません。カヴァッレリッツァを修繕するには、あまりにも費用がかかりすぎるのです。ユネスコ(UNESCO)によって制約を課されている[カヴァッレリッツァ・レアーレは、「サヴォイア王家の王宮群」の一部として、1997年に世界遺産に登録されている]し、市場を見出してはいないのです。
 なので、トリノは奇妙な状況にあるわけですね。危機はこのように厳しいものです。都市はこのように貧しく、未来はこのように不確実です。実際、国際的水準の投機は存在しません。ローカルな投機が存在しているわけです。それは、当然ですが、数多くの地元資本が存在しているからです。なので、これはローカルなレヴェルでなされる伝統的な小規模投機の典型的な例であると言えますね。私はこれがよりよいとか、ましであるなどと言っているわけではありません。さまざまな種類のスケールがあると言っているのです。トリノから電車に乗って130㎞ほど行けば、もうミラノがあるわけです。そこには、トリノとは完全に異なった現実があるわけですから。

北川:住民たち、社会センターやスクウォット空間などのさまざまな政治的現実によって、これらの年月において、ジェントリフィケーション、投機などに対する抵抗や闘争があったのでしょうか、またそれはどのようなものだったのでしょうか。

セーミ:私は43歳ですし、少し過去の記憶からはじめましょうか。少なくとも1990年代以降のイタリアの運動がどのようなものだったのか。確実にここ10年の間に、居住の権利にかんするいっさいの議論、いっさいの実践が復活を遂げてきました。1990年代のあいだ[住居からの]立ち退きに対抗するピケは消え去っていたのですが、ゼロ年代初頭に、イタリアのあらゆる都市において再び姿を現しました。新世代の活動家たちが現れたのです。かれらは若くてとても活動的でした。私が1990年代にミラノ大学の学生だった頃には、このような人たちはいませんでした。完全に欠けていたのです。
 ジェントリフィケーション、包括的には、都市への権利をめぐるいっさいの議論というのは、イタリアではここ30年のあいだ、まったく存在しなかったものです。しかしこれもまた現在では活発で、多くの都市がとても活動的な状況です。特に、ボローニャとナポリですね。これらの都市は特に今、運動の考察がなされる2つの中心地となっています。
 なので、運動はとても活発なのだと思います。多くの考察がなされ、多くの実践もなされている。この局面は非常に興味深いものであり、個人的にはとてもポジティブなものだと思います。けれども、運動に対する極めて厳しい弾圧が存在すると言わねばなりません。私は、法のレヴェルでの恐るべき革新、つまりミンニーティ‐オルランド法の腐った果実のひとつである「スポーツイベントへの立ち入り禁止法の都市版(DASPO urbano)」★04を念頭に置いています。まさにこれが、たくさんの活動家に、かれらがそこで政治活動を行っていた街に住めないようにしてきたのです。私は、たとえばボローニャの多くの仲間たちのこと、またボローニャで行うことのできなかった多くの集会のことを知っています。なぜなら、ボローニャの活動家のかなりの部分が、街にいることができなかったからです。かれらは外で活動するしかなかった。同じことが、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、そしてトリノにも言えるわけです。
 したがって、私の意見では、運動は目下のところ、10年前よりもとても力強いし、10年前よりも成熟していると思います。運動は多くのことを学んできましたが、また同時に、弾圧の高まりにさらされてもいる。このような弾圧は、長年目撃することのなかったものです。1970年代以来のことではないでしょうか。アジーロが被った強制排除の裏付けは、ほんとうにとても乱暴なものです。つまり、とても脆弱な根拠でのことではなかったでしょうか。7人を逮捕しなければならなかったわけですが、なかにはもう釈放されなければならないとされた人もいるわけです。訴因はとても根拠の弱いものだったわけです。ともかく7人を逮捕しなければならなかった[体制転覆組織との関係が理由とされた。特に移民収容所の破壊活動とその運営主体への暴力で]。どんな理由でアジーロ[のスペース]を内部から破壊しなければならなかったのか、封鎖しなければならなかったのかはわかりません。目的がテロリズムで告発された人たちを逮捕することだったのなら、かれらを拘留したらよいわけでしょう。実際にはそれどころのことではない。かれらはそれ以上のことを行ったのです。だから、弾圧は想像されているよりもはるかに激しいのです。

北川:現在イタリアでは、都市の「品(decoro)」という言葉が用いられ、それが制度化されてきたかと思います★05。都市住民は品をもって振る舞わなければならない。たとえばこのような命令は、トリノのような街には、どのような影響を与えているのでしょうか。

セーミ:これは興味をひく事柄ではありますね。というのは、ジェントリフィケーションがとる少しばかり新たなかたちだからです。それはイタリアにおいてのことではありますが、イタリアだけにはとどまらないでしょうか。いずれにせよ、イタリアは、この品という作法を採用したわけです。退廃・堕落(degrado)の反対語としてです。1990年代の長期間にわたる都市再開発のなかで、都市はより美しくなければならない、より清潔でなければならない、より品がよくなければならないとされてきました。その後、退廃撲滅を目指すルールが、それにお墨付きを与えたわけです。そのお墨付きというのは、歴史的中心地区の空洞化、社会的諸関係の規範への従属化など、典型的なジェントリフィケーションのためのいっさいの活動・事業が台無しにされないため、異論を挟まれることのないようにするためです。
 したがって、品をめぐるいっさいの声はいわば、実質的に、以下のようなことを意味するわけです。「私たちは都市を再生した。美的基準、道徳的基準、市民的基準、暮らしやすさの基準にそぐわないものは、現在受け入れられない。法という見地から受け入れられないのだ」と。これには、それが論理として徹底的にファシスト的であるということに加えて、さらなる問題があるように思えます。すなわち、都市は定義上、よごれのない平和的なショーウィンドウでは決してありえない。というのは、都市は矛盾を受け入れるものだからです。ジェンダーをめぐる矛盾、居住をめぐる矛盾。都市にさまざまな人びとが住むなら、壁に描いて何かを表現する人びとがいたり、広場で表現する人びとがいたり、家で表現する人びとがいたりするのは普通のことです。とにかく表現がなされるわけです。これを止めることなどできません。それは不可能なのです。自己を表現しようとするすべての人たちに、大きな圧力をかける法律を施行することもできるでしょう。しかし、この都市的な生を阻むことはできない。それゆえにこうした法律の施行は、こんにちの国家のとても権威主義的な要求(厚かましさ)にほかならないわけです。定義上、その目的を果たすことは決してできません。とはいえ、その目的を果たせはしないわけですが、その一方において、これは人間生活を破壊してしまうものなのです。これがまさに、ここ数週間にわたって[トリノで]起こっていることです。

北川:この「品」の制度化に対する抵抗はあったのでしょうか。

セーミ:多くのさまざまな抵抗がありましたし、多くのさまざまな企てがありました。けれども、この制度化は、イタリアの大多数の人びとから支持されるものでした。かれらは、その多くが住宅の所有者であり、この品のルールを、自身の経済的投資に対する保護であるとみなしたわけです。これは、所有者としての都市と、所有者としての国家、そして他の所有者たちとのあいだでなされた政治的協定なのです。それゆえに、運動から、さらにはこの所有者マシーンの内部には属していないあらゆる人びとから、多くの抗議がなされました。けれども、他の人たちからは喜んで迎えられたわけです。思うに、これは権威的国家なのでしょう。

北川:最後の質問をさせてください。来年2020年に東京では夏季オリンピックが開催される予定です。2025年に大阪では、万国博覧会(EXPO)が開催される予定です。トリノでは、2006年に冬季オリンピックが開催されました。トリノにはまだこのようなイベントを開催したいと考えている人びとがいるとも耳にしました。2006年のオリンピック開催をめぐって、トリノはどのような状況にあったのか。異議申し立てはどのようなものだったのでしょうか。

セーミ:2006年のオリンピック開催に関して、抵抗はありませんでした。なぜなら、トリノの少なくとも大部分の人びとは、工業世界、工業都市から脱する期待の的として、コスモポリタニズムの局面、国際的な局面へと足を踏み入れる期待の的としてみなしていたからです。この都市はとても苦しんできました。脱工業化、孤立状態、単一文化……。したがって、競技者が世界じゅうからトリノにやってくる、観光客が世界じゅうからトリノにやってくる、そしてトリノがただフィアットだけではないことを発見してくれるというアイディアは、満場一致でポジティブなことだとみなされたわけです。
 オリンピックの収支決算がなされたとき、都市には40億ユーロの借金があることが明らかとなりました。このとき、ショックがあったわけです。まるで前日の夜に飲みすぎたがゆえに、酔っ払いが翌朝目が覚めたときに、身体的に消耗しているように。ここには同一の論理があります。トリノの人びとは、いきなり自分たちが貧しくなっていることに気づいたわけですね。それでも一方には、大規模イベントを通じた国際化というこのアイディアを擁護し続けている人たちがいます。しかし他方では、公共サービスや社会的保護の仕組みが痩せ細りはじめていたわけです。
 したがって、街の人びとに知らせないといけないのは、これらの大規模イベントの多くは、公的アクターを貧窮化させ、都市をイベントの以前よりも、もっとひどい状況に置いてしまうということです。だからこれらのイベントは、潜在的に極めて危険なものなのです。うまくいった状況もあるのかもしれませんが、ひどいケースもあります。アテネは、オリンピック(2004年)から立ち直ることはありませんでした。破産した都市もたくさんあるわけですし、オリンピックが実現されなかった都市もたくさんあります。ほんとうに危険なのです。

北川:私は、トリノ中心部から南[リンゴット地区]に位置する旧オリンピック選手村[Ex Moi、2006年の冬季オリンピックのそれで、以来ずっと放置されていたが、2013年に移民たち、かれらと共同するイタリア人によって占拠された。最大1,000人ほどの移民たちが居住していた]に行きました。しかしここもまた「ソフトな強制排除」と言われながら、立ち退きが進行しているところですね。(おわり)


★01 このトリノ大学エイナウディ・キャンパスは、1998年に大学が購入した土地の上に建てられた。それは、1970年代から放置されたままの工業跡地だった。緊縮アーバニズムのさなかに、大学、州、金融機関などによって1億3,500万ユーロが投じられ、2012年にこのキャンパスは完成した。こけら落としの式典に、異議申し立てを行った学生たちがいた。またこのキャンパスとは別の場所であるが、トリノ大学人文学部前に開店したバーガーキングへの抗議行動を繰り広げている学生たちもいる。セーミ氏は、キャンパスをはじめ、学生・教員の居住施設などを移転させたりすることで、大学そのものが不動産アクターになっていることを指摘している(http://www.magzine.it/giovanni-semi-come-vi-spiego-la-gentrification/)。
★02 「アジーロ・オックパート」は、2019年3月26日、バッリエーラ・ディ・ミラーノ地区の旧小学校を新たに占拠したが、6月にそれを放棄した。
★03 芸術家たちは、この場を「共有材(bene comune)」として認めるよう五つ星運動のアッペンディーノ市長をはじめとする市行政と交渉を重ねていたが、合意に至らぬまま、2019年11月、激しい衝突を伴わない「ソフトな」強制排除が実行された。ただし、この建造物の一部のスペースを占拠していたフードデリバリーの労働を行う自転車ライダーたちは、こうした芸術家たちの方針そのものに抵抗していた。
★04 「DASPO(Divieto di Accedere alle manifestazioni SPOrtive)」は、スポーツイベント、特にサッカー場に暴力的とみなされたファンを接近させないため、あるいはサッカー場から追放するために1989年に制定された法律である。しかしここ数年の間に、それはサッカー場から都市へと拡大されることとなった。その都市版である「DASPO urbano」は、2017年に中道左派政党・民主党マルコ・ミンニーティ内務大臣と、同党のアンドレア・オルランド法務大臣による政令において導入された。それは、危険視された(むしろ「迷惑をかける」とすべきかも)人びとの都市のいくつかの場所への接近を禁止し、かれらをそこから遠ざける罰である。たとえば、鉄道、空港、公共交通といったインフラ、また学校、大学、博物館、観光に関わる場所である。これは市長に、そして内務省から派遣される県知事に多大な権限を与えようとするものでもあった。2018年5月に形成された新たな政権(2019年8月まで)で内務大臣を担った極右政党・同盟(旧・北部同盟)のマッテーオ・サルヴィーニは、かれの安全保障政令のなかで、DASPO urbanoをさらに拡大した。接近禁止地帯は、保健センター、見本市、市場、公のショー・式典の場所へと拡大された。しかも、これは市長よりも県知事にさらなる権限を与えようとするものでもあった。加えて、「テロリズム犯罪の容疑者」も、このDASPO urbanoの適用対象者リストに含まれた。結局のところ、これは都市の貧者、都市の都市性への戦争である。野宿者、精神疾患をかかえている人、トランスジェンダーの人、麻薬中毒者、さらには移民、酔っ払いなどが標的とされているとの批判も強い。
★05 「品(decoro)」は、2017年のミンニーティ内務大臣による安全保障政令によって導入された。これはおよそ注4の文脈と同様でもある。DASPO urbanoの罰を受ける人は、「品のない人」、「都市の品を下げる人」なのである。


■参考
◇2019/09/01 「トリノの旅・センター占拠は今後、どうなっていきたいのか」
◇2019/02/17 「トリノ市による〈ASILO OCCUPATO〉の強制排除と市民活動家の逮捕に抗議する」
◇2017/10/05 「トリノの路上から(2)白煙の中で――トリノG7労働相会合反対デモ記録」
◇2017/10/01 「トリノの路上から(1)NO TAVについて」
◇2017/08/31 「大都市化するミラノに抗する「反万博の会」(1)――退廃・装飾・品位の暴力」