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Art&Critique(村上潔訳)「公開フォーラム:アートとジェントリフィケーション(2018年5月)――議論の概略」

2018/10/01 村上 潔

【原著(Original text)】
Art&Critique, 2018, “Open Forum, Deptford Art & Gentrification Walk. Old Tidemill Wildlife Garden, May 2018”, SoundCloud, September 20, 2018, (https://soundcloud.com/videomole/deptford-art-gentrification-walk-tidemill-garden-may-2018mp3).
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アートとジェントリフィケーションに関する公開フォーラム
‐ 〔開催場所〕〈オールド・タイドミル・ワイルドライフ・ガーデン[Old Tidemill Wildlife Garden]〉
‐ 《デトフォード・アート・アンド・ジェントリフィケーション・ウォーク[Deptford Art & Gentrification Walk]》(2018年5月)〔の一環として開催〕
‐ 録音:ポール・クレイトン[Paul Clayton]
議論の概要は以下を参照されたい。

2018年5月、私たちは、アートとジェントリフィケーションについて一日議論するために、デトフォードを訪れた。その日私たちは、道路・水路・緑地・新興開発地に沿って、ギャラリー、スタジオ、コミュニティ・スペース、歴史的建造物をめぐるツアーに出かけた。その目的は、アーティスト・キュレーター・アクティヴィストたちと出会い、彼ら/彼女らがコミュニティの立ち退きと公共の創造的な空間の縮小にいかに抵抗し、もしくは打ち勝とうとしているのかを探ることだった。

私たちは、アーティスト・アクティヴィスト・地域住民たちと、〈オールド・タイドミル・ガーデン〉で公開フォーラムを開催した。ガーデンの歴史、差し迫ったその解体、そしてガーデンを守るためのキャンペーンについて話すフォーラムだ。私たちは、ジェントリフィケーションの過程においてアーティストが有する責任の尺度と、手頃に使える空間を追い求めるうえでデベロッパーと連携すること以外にどんな代替手段があるのか、について議論した。このイベントの詳細は、https://artandcritique.uk/art-crawl/#14 を参照されたい。

議論の概要:

〈オールド・タイドミル・ガーデン〉は、デトフォードの穴場の、野生生物のオアシスだ。WHOが推奨する基準より6倍高い大気汚染レベルにあるデトフォードの中心に位置し、70本を超える成熟した木々を有する。ルイシャム区は、ガーデンを土地管理人に引き渡すことによって、この公共の資源をコミュニティが使えないようにした。しかしいま、隠されていた空間は現れ出る! 〈セーブ・レジナルド・セーブ・タイドミル[Save Reginald Save Tidemill]〉キャンペーンは、ガーデンを解体から守るための努力の一環として、ガーデンの存在に対する認識を高め、コミュニティのメンバーによるガーデンの利用を促進しようと試みている。

アーティストたちは、「ジェントリフィケーションの切り込み隊」なのか? それとも、その過程における犠牲者か? 使い捨て要員か? 彼ら/彼女らはいかにとがめられるべきか? アーティストたちは、ジェントリフィケーションと立ち退きのための「目的達成手段」もしくは「隠れみの」として使われるが、結局のところそのプロセスを進めているのは資本であって文化ではない。

アーティストたちは、安価で利用しやすいスタジオや展示スペースを探し求める。多くのアーティストたちが、安いが、その一方で地方自治体とデベロッパーによって提供されたものであるスペースを使用してきた。彼ら/彼女らの存在は、〔自治体・デベロッパーにとっての〕使い道がなくなり、賃料が払えなくなってスペースを追い出されることになるまでは、〔自治体・デベロッパーの〕目的に役立つ。

「かつて、ブリクストン・ペッカムからナンヘッド・ニュークロス・ロザーハイズまでを極度の貧困、真の欠乏状態が覆い、住むのには危険な、本当に危険な状況であった1980年代の時には、話が別だった」〔という発言があった〕。〔当時の、流入の〕第一波は「辺境(フロンティア)に住む男女」だった。何の変化も起こすことなく、スクウォットすることで地域に組み入れられた第一波のアーティストたちは、あとから入ってくるアーティスト・ミュージシャンたちが生活する場所を見つけられるようにした。

いま、コンピューターを使ったクリエイティブビジネスは、スタジオ・作業場・メーカースペースを、もとの場所〔=インナーシティ〕へと戻してきている。これらの新しいスタジオは、アーティストたちのために確保されているかのようだ。〔デトフォード・チャーチ・ストリートを隔ててガーデンと隣接する〕クリークサイド1番地で計画中の開発は、デトフォードの未来の恐ろしい展望である。

デベロッパーは明確な戦略をもっている。そしてアーティストはデベロッパーに利用されている。アーティストにはいくらかの責任がある。自らが取り結ぶ連携関係の政治経済の問題に気付くべきだ。

アーティストたちは居住空間を占拠することができる。そしてそこをスタジオや展示スペースとして使うことができる。法律をかいくぐること、つまり、居住用財産に住むことはできないが展覧会や抗議行動を主催できるという法の隙間を突くことだ。私たちはみなで団結し、集団で〔ガーデンを守るという〕問題に取り組むことができる。

〔参照リンク *リンク先の情報は訳者が補足した〕
Save Reginald Save Tidemill (Facebook)
Reginald Road/Old Tidemill Wildlife Garden Information Sheet (PDF)
・Milburn, Ella, 2017, “Lewisham Residents Fighting to Save Homes from Demolition Accuse Council of ‘Social Cleansing'”, Eastlondonlines, December 8, 2017, (http://www.eastlondonlines.co.uk/2017/12/lewisham-residents-fighting-save-homes-demolition-accuse-council-social-cleansing/).

■参考(訳者作成)
[ART&CRITIQUE] | Critical and contextual studies in contemporary art practice
ART CRAWL | [ART&CRITIQUE]
‐ Deptford Art & Gentrification Walk (Saturday, 26 May 2018, 12:00-19:00)
‐ Deptford Art & Gentrification Walk Pt. 2 (Saturday, 29 September 2018, 13:00-18:00)
◇村上潔 20180903 「デトフォードの占拠運動者たちは訴える、「ジェントリフィケーションは組織犯罪だ」」,反ジェントリフィケーション情報センター
◇中村葉子 [2014] 20170916 「なぜアートはカラフルでなければいけないのか――西成特区構想とアートプロジェクト批判」,反ジェントリフィケーション情報センター

トークセッション「オリンピックとジェントリフィケーション」を終えて

2018/09/27 村上 潔

去る9月12日、新宿の〈カフェ・ラバンデリア〉で開催された、《[『支援』トークセッション:2018秋]オリンピックとジェントリフィケーション――ジェンダー・文化・アクティヴィズムの観点から》に出演しました。

私と佐藤由美子さん(〈トランジスタ・プレス〉代表)のトーク、ならびにフロアとの応答の内容については、私のほうで簡単にまとめましたので、
トークセッション「オリンピックとジェントリフィケーション――ジェンダー・文化・アクティヴィズムの観点から」(佐藤由美子×村上潔)
→[トーク内容(Contents of Lecture)]をご参照ください。
なお、このイベントで話された内容全体は、文字起こしされて、2019年春刊行予定の雑誌『支援 Vol.9』(生活書院)に掲載されます。少し先になりますが、刊行をお待ちください。

ここでは、あくまで私からの余録として、当日全面的には触れ(られ)なかったエピソードと、それに導かれる思考の(内側の)回路を記述しておきたいと思います。


私にとって佐藤さんは、「詩の人」。それも、ビートニク詩人の精神を受け継ぐ人。だから、主たる活動である出版という、文字で詩/言葉を表現・普及させていく行為にとどまらず、ポエトリーリーディングのような、詩を「現場」で「拡張・増幅」させていく機能と、その取り組みも重視している。私は、そのことをずっと留意していた。

詩を「現場」で「拡張・増幅」させる行為には、なにより身体性と空間性が、それから、見えない領域では歴史性が、大きな意味をもって介在している。このことは、ジェントリフィケーションについて、またジェントリフィケーションへの対抗のありかたについて考えるうえで、大いに参照する価値のある要素だと、私は考えた。

基本的にジェントリフィケーションは、経済・政策・設計・統治という「上」からの目的/枠組みによって作動する。当然ながらそこにおいて、末端の生活・再生産する身体という存在は、コントロールされ、利潤を生み出すことを期待される集合体としてのみ設定される(利潤を生み出さない群はリスクとして排除される)。ジェントリフィケーションに対抗する「下」からの運動には、往々にして見落とされがちなその身体の存在/意味に目を向け、認識を共有し、それを基準とした(新たな)共同性のありかたを示し/構築していくことが要請されると、私は考える。

特定の空間に息づく個々の身体の固有性とそれらの共同性。そのありようをつかむリアリズムこそが、いま、ジェントリフィケーションをめぐる「現場」では求められているのではないか。とても困難な課題だが、メガイベントとそれにともなう大規模再開発というマスな/マクロな権力の作動に対峙するには、その対極の目線と立ち位置がどうしても必要となる。これをスルーして、「オルタナティヴ」なコミュニティなど構想できはしないし、したところでそれは「対抗」にはなりえない(仮に下からの/オルタナティヴなジェントリフィケーションなるものを試みたとして、それは上述の目的/枠組みを部分的に先回りして代替=肩代わりするにすぎない。かりそめの「主体性」で自己肯定した運動は、行き詰まる運命にある)。

ある身体が求める空間とはいかなるものか、ある空間が誘[いざな]い・受け入れる身体とはいかなるものか。そしてその連関性は、いかなる歴史を刻んできたのか。一つ一つ、解きほぐし、確認し、気づき合っていこう。たとえば、その地で子を産み、育てること。たとえば、傷ついてそこに逃げ込むこと。そこで人に助けられ、土や木に癒されること。眠ること。食べること。語らうこと。踊ること。歌うこと。

学者はそれらを記録しなければならない。詩人はそれらを表現するだろう。しかしそれだけではない。声を発さず、文字を書かず、「作品」も残さない、無数の身体が、どの都市空間の一隅にも存在する。その存在が内から物語るもの、その複数性と重層性を感じとろう。歴史に重ねよう。そして共有しよう。響かせよう。そして学者はまたそれを記録し、詩人はまたそれを歌う。

オリンピックとジェントリフィケーション。その結合に対峙するには、まずその対極の身体性を基準に、空間を捉え直し、空間を歴史的を位置づけること。それは、個として身体と空間を溶け合わせ、歴史のなかに身を置くことであり、同時に、その個を結びつけ場の主体を立ち上げることである。これは、「運動」の「戦略」などではなく、その根底にあるはずの土壌/地層である。それなくして、運動も戦略もない。

なぜそこに公営住宅が必要なのか。なぜそこに市場[いちば]が必要なのか。なぜそこに公園(自然)が必要なのか。なぜそれらは人々がアクセスできるものである必要があるのか。それを「経済的な条件」や「社会的な権利」の問題で語る前に、認識しておくべき地平がある。そういうことだ。

と、こんなことを本当は言わなければならない、はずなのだが、トークにしろ講義にしろ著述にしろ、時間も文字数も限られている。だから具体的な「事例」を挙げ、その意義を説くことに終始する。この日のトークも、当然ながらそうなった。そこでこの場を借りて、思考の「内側」のことを少し書かせてもらった。言っていることは単純なことだ。恥ずかしくもある。ただ、私はこの前提を手放して、ジェントリフィケーションにアプローチすることはできない。おそらく佐藤さんもそうだと思う。司会を務めてくれた堅田(香緒里)さんも同意してくれると思う。それは当日、トークを進めるなかで確信することができた。それだけでも、このイベントに出られて本当によかったと思う。最後に、イベントを企画・運営してくれた方々、参加していただいたみなさんに、改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。

【追記(2018/09/28)】
◇kiyoshi murakami(@travelinswallow)
「デトフォードのコミュニティ・ガーデン〈オールド・タイドミル・ガーデン〉(→https://antigentrification.info/2018/09/03/20180903mk/)に掲げられたバナーの文言、「デトフォードは息する(breathe)必要がある!」(https://twitter.com/oldtidemillgrdn/status/1045455988546043904)。私がこの文章(→https://antigentrification.info/2018/09/27/20180927mk/)で書いたのは、まさにこういうことです。」
[2018年9月28日10:02 https://twitter.com/travelinswallow/status/1045478937214693377


■参考
◇村上潔 20180901 「トークセッション「オリンピックとジェントリフィケーション」出演にあたって」,反ジェントリフィケーション情報センター

Focus E15 Campaign(村上潔訳)「いじめを受け、「意図的なホームレス」とされる危機にあるニューアム区居住者」

2018/09/20 村上 潔

【原著(Original text)】
◇Focus E15 Campaign, 2018, “Newham Resident Bullied and Threatened with ‘Intentional Homelessness'”, Focus E15 Campaign, September 18, 2018, (https://focuse15.org/2018/09/18/newham-resident-bullied-and-threatened-with-intentional-homelessness/).

〈フォーカス E15[Focus E15]〉キャンペーンは、ストラトフォードにある〈ブリムストーン・ハウス[Brimstone House]〉という名のホステル〔=簡易宿泊所〕の居住者たちと共に活動してきた。この「一時的」宿泊施設での生活が何年間も引き延ばされ、人々は、いつまで続くのか見当もつかずにこのホステルに暮らしている。居住者たちはその生活環境に怒っており、そこから出ていくことを望んで互いに準備をしている。ただし〔それとともに〕居住者たちは、職場・学校・家族・支援ネットワークから近いイースト・ロンドン内の住居に入居する自らの権利を、強く主張する。

以下の居住者の話は、ロンドンの外に追い出される危機にあることがいかにメンタルヘルスに影響を及ぼすかを浮き彫りにする。

〈フォーカス E15〉キャンペーンは、先週土曜日の〔毎週恒例の〕路上街宣[Focus E15 street stall]の際に、この居住者(匿名希望)と情報交換を行なった。

ブリムストーン・ハウス居住者の話

この居住者は5歳の子どもの母親である。彼女は12か月ブリムストーン・ハウスに暮らしてきたが、当初そこは短期間だけの緊急宿泊施設だと伝えられていた。しかしながら自治体〔=ニューアム区〕はその後、その宿泊施設は長期間の一時的宿泊施設として適する、と彼女に通知した。まるでだまされたみたいだ、と彼女は感じている。

この居住者は、うつ病を患い、パニック発作に悩まされている。この脆弱性により、彼女の家庭医は、とりわけ彼女がニューアム区内で大学の職をもっていることと彼女の娘がちょうど就学したばかりなことを考慮して、ニューアム区内の支援ネットワークに近い住居に入ることを勧めた。言い換えれば、彼女の全生活はイースト・ロンドンの中にあるのだ。

彼女は、イースト・ロンドン内のどこかに移れれば満足だが、ロンドンの外に送られるのはごめんだ、と説明する。もしそうなったら、定期的に彼女に会う余裕がない友人や家族との関係は弱まってしまうだろう。彼女はまた、大学の職を手放したくない。もしロンドンの外に追いやられたら、彼女は孤立し、病気の際に娘の面倒を見るのを誰も助けてくれないだろう。

しかしながら、完全なる恐怖である自治体は、医師の忠告を無視し、彼女に対しロンドンの外、エセックス州コルチェスターという場所をあてがった。医師は、鉄道移動への彼女の懸念から、その物件を見に行かないよう彼女に忠告した。母親は、このロンドン外部の物件を視察させるいじめの過程と〔自治体のいじめの〕文化について説明してくれた。彼女は区の住宅局の職員からこう伝えられた。もしあなたがコルチェスターに物件を視察しに行かなければ、ブリムストーン・ハウスから退去させられ、「意図的なホームレス」となるだろう、と。またこうも言われた。区はあなたの娘にだけなら宿泊施設を提供してもよいが、あなたはだめだ、と(これは、住宅課の誰か〔上の者〕が彼女を怖がらせるために社会福祉の脅しを使っている)。この時点で、彼女のストレスレベルは急上昇した。

彼女はコルチェスターの物件を視察するため電車に乗った。区が彼女に視察を強いたその物件を見つけようとしていた間に、彼女はパニック発作を起こし、結局病院に運ばれた。これは、自治体が医師の忠告を知りつつ無視したことが招いた重大な憂慮すべき結果であり、この若い母親がストレスを受けていることを示している。

住宅課はまるでこの事例から学ぶことを拒むかのように、その後彼女にロンドン外部の〔エセックス州〕ティルベリーの物件を提示してきた。彼女は〈フォーカス E15〉キャンペーンのメンバーたちに、自身のメンタルヘルスが悪化したことを伝え、この最新の提示のことを訴えている。

〈フォーカス E15〉キャンペーンは、人々をコミュニティから強制退去させることに反対し、社会浄化[social cleansing]にノーと言う。私たちは、ブリムストーン・ハウスの居住者たちが、支援ネットワーク、職場、子どもの学校、そして医療提供の場から近い自らのコミュニティのなかで居住できるよう要求している。ブリムストーン・ハウスの居住者たちは人間だ!

〈フォーカス E15〉の路上街宣に参加して。今週土曜日、ウィルコ[Wilko]〔ストラトフォードの大型ディスカウントショップ〕の外で。昼12時から午後2時まで。


■参考
◇Focus E15, n.d., “About Us”.=20161219 村上潔訳「Focus E15:About Us」,arsvi.com
◇Focus E15, n.d., “E15 Open House Occupation”.=20161220 村上潔訳「Focus E15:E15 公開住宅占拠」,arsvi.com

Rebecca Omonira-Oyekanmi and Izzy Koksal(村上潔訳)「居住運動者たちは危険な家主と自治体のいじめに立ち向かう」

2018/09/18 村上 潔

【原著(Original text)】
Omonira-Oyekanmi, Rebecca and Izzy Koksal, 2017, “Housing Activists Stand up to Dodgy Landlords and Council Bullies”, openDemocracy, November 22, 2017, (https://www.opendemocracy.net/shinealight/shinealight/rebecca-omonira-oyekanmi-izzy-koksa/housing-activists-stand-up-to-dodgy-land).
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【リード文】グレンフェル・タワーの火災は、ロンドンにおける住宅供給の不公正に関する公的な議論を否応なく引き起こした。居住者たちは、個人的にも社会的にも、ずっと家主の言いなりになってきた。しかしいま、抵抗は強まっている。

〔2017年〕6月14日未明、ウェスト・ロンドンの24階建ての高層住宅を炎が飲み込み、70人を超える人々が亡くなった。350人以上の消防士たちが何時間にもわたって消火活動を行なった。

火が燃え盛るあいだ、生後6か月のリーナ・ベルカディを含む何百人もの人々が建物の高層階に閉じこめられた。その小さな女の子は、19階と20階の間の吹き抜け階段で、母親の腕に抱かれた遺体として発見された。

グレンフェル・タワーは、労働者階級の家族、若いカップル、難民、移民、独り暮らしの高齢者たちが入り混じったコミュニティの住まいだった。

最終的な死者数は不明である。建物内にいた未登録の移民たちは、身元確認されていない恐れがある。これまでのところ身元が確認された犠牲者は、71人だけだ。6月にロンドン警視庁は、すべての人の身元確認には数か月を要するだろうと宣言した。そして先週、同庁は「これまでに行なわれたすべての作業と専門家の助言に基づくと、グレンフェル・タワーの内部に人がまだ残されている可能性は極めて低い」と発表した。

調査は、火災をめぐる状況を捜査するためのものだった。引き起こされた破壊と死は、ケンジントン・アンド・チェルシー区による放置と管理ミスという、腐敗した問題を露呈させた。何百人もの居住者・生存者たちは、5か月後の現在もいまだにホームレス状態にある。11月初めに中央政府は、区長たちの人間性の欠如を批判する報告を発表した。その声明のなかで、コミュニティ・地方自治大臣サジッド・ジャヴィドは、火災に対する区の対応を「怠慢かつ無秩序だ」と述べている。

しかし、腐った地方政治に対する政府の批判は遅すぎた。居住者・生存者たちは、調査がロンドンにおける居住と不平等という根深い問題を無視することを危惧している。火災の条件を作り出したその問題を、だ。

6月の火災より何年も前に、居住者たちがあれほど当局に警告しようとしたのに。

〈グレンフェル・アクション・グループ[Grenfell Action Group]〉は、2010年に結成し、高層ビルの安全性に対する懸念を繰り返し提起してきた。グループは、グレンフェル・タワーならびにケンジントン地区内の他の住宅団地における管理ミスと放置の要点を説明したブログ記事を数え切れないほど発表した。そしてまともな居住を求めて運動を展開し、高級住宅開発の増加と公営住宅の管理された減少に対し異議を申し立てた。グループのブログは、ロンドンを富裕層以外誰にも住めないようにする変化に対抗する闘争を支援した。

こうした活動は珍しいものではない――ロンドン全域で、ラディカルな居住運動のグループは、敵対する住宅市場における居住者の権利のために闘っている。公営住宅は不足している。自治体は金がなく、貧困状態を行き来する人々や複雑なニーズをもった家族を支援する対応が不十分だ。民間の平均家賃は高い。

グレンフェル・タワー火災のあと、何が変わるのだろう?

ロンドンの草の根の居住運動者たちが思ったままに行動すれば、たくさんのことが〔変わる〕。

私たちは、サウス・ロンドンの地域団体〈ハウジング・アクション・サザーク・アンド・ランベス[Housing Action Southwark and Lambeth](HASL)〉のイジー・コクサルと、居住の不公正に立ち向かう彼女たちの活動について話した。

彼女たちは、ロンドンで居住の不公正/人種差別/貧困/セックスワーカーの権利/移民の権利の問題に取り組む、数あるラディカルなグループのうちの一つだ。地域社会に根付き、ベテランのアクティヴィスト/不安定労働者/貧困状態を行き来している家族が入り混じって構成されている。

HASLは、LCAPとして知られ、今年10周年を迎える〈ロンドン反貧困連合[London Coalition Against Poverty]〉の一部を成す。LCAPは、ロンドン特別区全体から集まった地域の居住支援/活動グループで構成されている。

HASLは、彼女たちが地方自治体や民間の家主のせいで直面する日常的な居住の不公正問題に取り組むため2013年に組織され、以降その問題についてブログで発信してきた。

以下は私たちの執筆によるイジーとのQ&Aの編集版である。彼女がグループの活動と直面している課題について語り、自分たちの居住連帯グループを立ち上げることに関心がある読者にアドバイスをしているもので、3分割して掲載する〔本記事はその1/3にあたる〕。

【注記】下記のQ&Aでは、私たちの質問と小見出しは太字で、イジーの回答はそのすぐ下に記してある。

〈ハウジング・アクション・サザーク・アンド・ランベス〉とは? どんな人が参加しているの?[質問]

〈ハウジング・アクション・サザーク・アンド・ランベス〉は、居住問題に直面した人々で構成されている、地域のコミュニティ・グループ。私たちは、お互いをサポートし、個別の居住問題をめぐる活動を組織し、そして居住の権利を求めて運動するために、月2回会合を開いている。

メンバーの大部分は、労働者階級の有色人種女性・移民女性と、その子どもたち。私たちの会合には子どもがいっぱい。その子たちを私たちがやっている活動に巻き込むためのいろいろな方法を、私たちは考えている。カリフォルニアのオルタナティブな年少版ガール・スカウト、〈ラディカル・モナークス[Radical Monarchs]〉のようなものを作り出したい。この夏、私たちは初めて宿題クラブの試みを行なった。

私たちにはまた、差し迫った居住問題は抱えていないが、居住の不公正、貧困、そしてジェントリフィケーションを懸念している支援者たちがいる。ロンドンでは、誰もがいつなんどき深刻な居住問題に直面するかもしれないことを十分に理解している。

危険な家主と自治体のいじめに対決を挑む[小見出し]

メンバーが直面する一般的な居住問題は、過密状況、解決されないホームレス状態、自治体からの住宅援助にアクセスすることの難しさ、居住に不適当な一時的宿泊施設に収容される、といったことだ。家族たちは、公営住宅への入居を待つあいだ、窮屈な環境で高い費用の一時的宿泊施設に何年も閉じ込められかねない。

それから、危険な家主たちがいる。最近、ある家主がメンバーの保証金を盗み取ろうとした。別の家主は女性メンバーにハラスメントをし、彼女の所持品を捨てると言って脅した。

こうした事例のいくらかと闘うため、私たちはお互いに付き添ってホームレス・アセスメントに向かう。これは、自治体が当該者にホームレス税を支払う義務があるかどうかを確かめるために、住宅課職員が当該者の事例を調査する場だ。もし当該者が単身のホームレスであれば、その人が住宅の援助を受けるのに十分なほど脆弱な状態かどうかを、自治体職員が判断する。私たちのメンバーは、これらの期間中にいじめと利用権限の制限を経験してきている(利用権限の制限は、自らが受ける権利をもつサービスに人々がアクセスすることを防ぐ際に自治体が行なう)。

支援をともなってアセスメントに出席することで、プロセス全体の恐ろしさをわずかながら減少させることができる。それが意味するのは、私たちは利用権限の制限に対し礼儀正しく挑戦し、そこで起こったことを記録し得るということだ。

また他の活動もある。私たちは、互いに助け合って用紙に必要事項を書き込み、優れた居住問題の弁護士を調達する。私たちはお互いを精神的に支援し、理解し、一緒に怒る。またある時には、区庁舎を占拠する。例えば、メンバーの一人が居住に不適当な一時的宿泊施設に収容され、彼女の子どもが通学のために3本のバスを乗り継がねばならなくなったとき、私たちは区庁舎まで〔デモ〕行進した。そしてその家族に学校から近い住居を提供するよう要求した。私たちが到着してから30分後、適切な一時的宿泊施設は見つけられた。

HASLは現在4年を過ぎ、ホームレス問題/不安定居住/医療問題/育児責任/賃労働その他のストレス問題に取り組む人々によって自発的に組織されたグループとして、大きな成果を得るに至った。しかしそこへもってきて、現在数人のメンバーたちにはブレグジットについて心配すべきことがある。「彼らは私たちを追い出すつもり?」、あるメンバーは最近の会合でそう尋ねた。

〈ハウジング・アクション・サザーク・アンド・ランベス〉はなぜ結成されたの?[質問]

苦しみ、貧しい暮らしを送っている人々が、安全な住居にアクセスすることができない、もしくは人種/階級/移民の地位によって差別待遇を受けている場合、居住問題に取り組むグループの存在はきわめて重要になる。

ホームレス状態にあるときに支援を受けることは、自治体によって困難にさせられている。基本的な住宅援助にアクセスすることは、一人では不可能だ。英語が母語でない場合は、さらに大きな障壁が立ちはだかる――私たちのメンバーの多くがそうだった。

ホームレス状態にある人々に対し支援を受ける権限を制限することは、ランベス区・サザーク区に限った問題ではない。ロンドン全体で、不運に見舞われている人々が、最も基本的な居住権にアクセスしようと苦闘している。グレンフェル・タワーの居住者たちも、いま同じ闘いを経験している。

ケンジントン・アンド・チェルシー区役所がグレンフェルの居住者たちに対して可能な限り迅速に思いやりのある再居住プロセスを進めることを、私たちは期待していた。しかし、報道は居住者たちがいまだに正当な居住支援を得るために闘っていることを示唆している。

グレンフェルの居住者たちが直面した再居住の問題は、私たちのメンバーが経験したことの繰り返しだ。特別区内の一時的宿泊施設に収容されることになるかどうかについての、自治体からの混乱・矛盾したメッセージのようなもの。個々の議員たちの傲慢な態度。自治体は集合的に、人々が必要とするものを聞くことができていない。

法律が不十分であるなら[小見出し]

優れた居住問題の弁護士にアクセスすることは(法的支援を受ける資格がある場合)重要だが、法的手続きは時間がかかり、ストレスが多く、制約を受けることがある。私たちは、法的手段を補完するために、集団で組織化している。あるHASLのメンバーは、彼女の弁護士から、自治体に勝訴したことを祝福された。彼は、自身の役割が最低限のものだったことを認めた!

この特定のメンバーは、30年間虐待に耐えてきたDVサバイバーで、にもかかわらずサザーク区は当初、彼女が支援を受ける資格を満たすほど脆弱な状態ではないと判断した。HASLのサポートを受けホームレス訴訟を乗り切ったことで、彼女はまもなく新しい公営アパートに移れるだろう。私たち(HASL)のサポートがなかったら諦めていただろう、と彼女は言う。そのお返しとして彼女はそれ以降に、DVから避難している何人かの友だちがホームレスとしての権利にアクセスすることを支援してきた。私たちがお互いに対して行なう集団的サポート・理解・決断は、特別なもので、そして気持ちを奮い立たせてくれるものだ。

【訳者より】画像とそのキャプション、ならびに文中の語句に貼られたリンクは省略している。原文記事ならびに下記[■参考]を参照されたい。

■参考
◇Rebecca Omonira-Oyekanmi
reporting & writing
・Twitter:@Rebecca_Omonira
◇Grenfell Action Group
Grenfell Action Group | Working to defend and serve the Lancaster West community
◇Housing Action Southwark and Lambeth(HASL)
Housing Action Southwark & Lambeth | Support and action for decent homes for everyone
・Twitter:@HousingActionSL
・Facebook:Housing Action Southwark and Lambeth
◇London Coalition Against Poverty
London Coalition Against Poverty
◇Radical Monarchs
Radical Monarchs – An Activism Organization for Girls of Color
・Facebook:Radical Monarchs

デトフォードの占拠運動者たちは訴える、「ジェントリフィケーションは組織犯罪だ」

2018/09/03 村上 潔

サウスイースト・ロンドンのルイシャム[Lewisham]区に位置するデトフォード[Deptford]。ルイシャム区は、移民・一人親世帯が多く、ロンドン市内で平均世帯収入が最も低い区の一つであり、デトフォードはそのルイシャム区のなかでも特に貧困世帯が多い地区の一つとされる(山脇 2012)。

そのデトフォードにあるコミュニティ・ガーデン〈オールド・タイドミル・ガーデン[Old Tidemill Garden]〉が、8月28日の夕方、〈セーブ・レジナルド・セーブ・タイドミル[Save Reginald Save Tidemill]*以下「SRST」と略記する〉キャンペーンの活動家たちによって占拠された(Worthington 2018)。SRSTは、〈レジナルド・ハウス[Reginald House]〉(ガーデンに隣接する公営アパート)と〈オールド・タイドミル・ガーデン〉の解体ならびにタイドミルの土地の開発を阻止するための、コミュニティによる、コミュニティのためのキャンペーンである(Save Reginald Save Tidemill, https://www.facebook.com/pg/savetidemill/about/)。以下、その行動の背景を、〈No Social Cleansing in Lewisham〉による簡単な解説(https://www.facebook.com/nosocialcleansinglewisham/posts/481402162327335[2018年8月29日])から把握してみよう。

〈オールド・タイドミル・ガーデン〉は、ガーデンの北側にある〈オールド・タイドミル・スクール〉の敷地再開発案の一環として、隣接する〈レジナルド・ハウス〉の16世帯の公営アパートと共に解体される計画のもとにある。それに先立ち、29日朝にルイシャム区役所がガーデンを強制封鎖しに来る予定になっていた。SRSTはそれを阻止するため、ガーデンを占拠したのだ。ガーデンは人々にとても愛されている美しいコミュニティ・スペースであり、〈レジナルド・ハウス〉の居住者の80%は住宅の取り壊しを望んでおらず、自らに再開発に関わる投票をさせるよう区役所に求めている。SRSTは28日に司法審査のための証拠を提出し、一週間で審査結果が出ることになっている。

SRSTが作成した、占拠への支援を呼びかけるプレスリリース(上記URLに画像データとして添付されている)には、以下のように記述されている。

ルイシャム区役所は、この美しいガーデンと、隣接する〈レジナルド・ハウス〉の16世帯の公営アパートを破壊したがっている。それは〈オールド・タイドミル・スクール〉の再開発の一環として、高価すぎて手が出ないアパートを新しく建てるためだ。私たちは「NO!」と言う。私たち運動者は、ルイシャム区役所がガーデンを差し押さえ、板で封鎖してしまうのを阻止するために、ガーデンを占拠した。区役所に対する私たちの主張はこうだ。ガーデンとアパートを排除する計画を振り出しに戻し、見直せ!

また、Worthington(2018)は、事態の内実を以下のように説明している。

ガーデンは、人々にとても愛されているコミュニティ・スペースで、約25年前に当時あった学校の教師・保護者・生徒たちによって開発された。その学校が閉校し、新たなアカデミーにとって代わられた際に、ガーデンは地域のコミュニティに賃貸された。しかしいま、区役所はそれを取り戻して破壊したがっている。隣接する〈レジナルド・ハウス〉の16世帯の公営アパートも、だ。その目的は、住宅協会〈ピーボディ[Peabody]〉と共に新しい住宅を建設するためだ。そしてその住宅のほとんどは任意売却されるだろう。

つまり、公共空間と公営住宅を私営化するということだ。これはまさしくジェントリフィケーションそのものである。Milburn(2017)によれば、SRSTと居住者たちは、区役所の姿勢を「社会浄化[Social Cleansing]」だと告発している。それはいうまでもなく、ジェントリフィケーションを象徴する言葉だ。ルイシャム区役所は再開発を止めるよう求めるコミュニティからの嘆願を無視し、解体を唯一の方法として前面に打ち出している、と住民たちは言う。2016年9月、建設会社と複数のデベロッパー(そのうちの一つが現在の〈ピーボディ〉)が手頃な価格の住宅建設を区の戦略計画委員会に申し出たところ、評議員たちの投票は4-2で再開発に賛成という結果となった。その後〈グレーター・ロンドン・オーソリティー[GLA]〉からの追加助成金があり、デベロッパーによる利益の再投資と、区からデベロッパーへの補助金交付とが保証されると、2017年9月には全建設予定住宅数に対する手頃な価格の住宅の設定比率が(前年の)16%から47%へと上昇した(Milburn 2017)。ここには、住民・コミュニティをないがしろにする裏側で行政とデベロッパーが(両者の資本循環関係に基づいて)連携して再開発を進めていくジェントリフィケーションの様態が、明確に示されている。

本稿では本件に関するこれ以上の解説――現在に至る経緯、当事者・関係者の声など――は省かせていただく。詳しくはMilburn(2017)・Fraser(2018)・Worthington(2018)を、また占拠前後の動静についてはWitton(2018)を参照されたい。なお、現時点で最新の報道映像としては、Real Media(2018)がある。

さて、占拠されたガーデンのフェンスには“THIS AREA IS UNDER COMMUNITY PROTECTION[この空間はコミュニティの管理下にある]”と書かれた横断幕が掲げられ(https://twitter.com/greenandreac/status/1034850785698435073:添付画像1枚目/https://www.facebook.com/savetidemill/posts/461374561014074)、ガーデン内には約12のテントが張られ(https://twitter.com/bridiewitton/status/1034775529428328448)、さらにツリーハウスまで建てられている(https://twitter.com/greenandreac/status/1034850785698435073:添付画像2枚目)。BBCのような主要メディアも取材に入り(https://twitter.com/oldtidemillgrdn/status/1035563022746628096https://twitter.com/achilles_newx/status/1035251482428407808)、その注目度は高い。

9月1日、SRSTは「ルイシャム区役所とデベロッパーの圧力からデトフォードを取り戻す」ための「コミュニティ・カーニバル」、《Reclaim Deptford! Carnival》を開催した(https://twitter.com/SouthwarkNotes/status/1035516817706500098https://twitter.com/achilles_newx/status/1035515403676594176https://twitter.com/SouthwarkNotes/status/1035928258871795715)。カーニバルはガーデンを出発し、〈レジナルド・ハウス〉を通り、〈アキリーズ・エステート[Achilles Estate]〉――このアキリーズ地区も、同様にルイシャム区役所による破壊の危機にあり、対抗運動を展開している。Milburn(2017)ならびに〈Save Achilles Area〉のTwitterアカウント(https://twitter.com/achilles_newx)を参照されたい――近くで開かれたコミュニティ・フェスティバルの会場まで行進した(https://twitter.com/achilles_newx/status/1035854600094601217https://twitter.com/achilles_newx/status/1035855619033640960)。そのなかで筆者が注目したのは、“GENTRIFICATION IS ORGANIZED CRIME[ジェントリフィケーションは組織犯罪だ]”と書かれた大きなバナーが掲げられていたことだ(画像:https://twitter.com/oldtidemillgrdn/status/1036365072778649600の添付画像3枚目/映像:https://twitter.com/SouthwarkNotes/status/1035936178200035328の0:36~0:42)。この言葉はまさに、ジェントリフィケーションの本質を端的に突いている。行政がデベロッパーと手を取り合い、住民・コミュニティの居住権・自治権を無視/侵害/蹂躙していく過程/実態には、まさに組織犯罪という言葉がふさわしいだろう。

カーニバルが到着したコミュニティ・フェスティバル会場は〈テント・シティ[Tent City]〉と名づけられた空間で、デトフォードとニュー・クロス[New Cross](ルイシャム区)で活動する複数のハウジング問題のグループ/活動家たちが共同で運営する形態で創出された空間だった。そこでは、パネルディスカッションやバナー/バッジ制作のワークショップが開催され、情報交換と創造的な交流、連帯関係の強化が実現した(https://twitter.com/achilles_newx/status/1036034507370115072)。

このように、ロンドンの一角のローカルな次元ではあっても、ジェントリフィケーションに対する個別のコミュニティによる力強い対抗行動があり、また近接するグループの活動が協力関係にあることは、けっして見過ごせない点だろう。こうした直接行動と連帯と創造の力が、今後いかなる展開をコミュニティ内外で見せていくのか。注意して細やかに追う必要がある。

【付記】現在SRSTは、司法審査費用と活動資金のクラウドファンディングを実施している(The Deptford Dame 2018/Save Reginald! Save Tidemill! n.d.)。

【追記(2018/09/05)】9月2日に公開された報道映像を紹介します。
◇Guestlist, 2018, “Residents gather to stop the development of Old Tidemill Wildlife garden”, September 2, 2018, https://youtu.be/TyVdi-zvJGk
【追記(2018/09/14)】新たな報道を紹介します。
◇Worthington, Andy, 2018, “The Battle for Deptford and Beyond”, Novara Media, September 13, 2018, https://novaramedia.com/2018/09/13/the-battle-for-deptford-and-beyond/
【追記(2018/09/22)】新たな報道を紹介します。
◇News Shopper, “Campaigners Occupying Old Tidemill Wildlife Garden Vow to Fight on”, News Shopper, September 17, 2018, https://www.newsshopper.co.uk/news/16883713.campaigners-occupying-old-tidemill-wildlife-garden-vow-to-fight-on/
【追記(2018/09/24)】〈Deptford Debates(@DeptfordDebates)〉の活動報告の一端を紹介します。
◇kiyoshi murakami(@travelinswallow)
「【訳】「〔デトフォードの〕〈レジナルド・ハウス〉居住者の大多数が黒人だと、私たちは学んだ。私たちは現在、時に人種差別的・性差別的・年齢差別的・階級差別的な「〔都市〕再生」の影響を克服するコミュニティ主導の取り組みを、より活用する方法について議論している。」https://twitter.com/DeptfordDebates/status/1043486537772609536」
[2018年9月24日20:31 https://twitter.com/travelinswallow/status/1044187438984253441
【追記(2018/09/26)】新たな映像と報道を紹介します。
◇WoolfeVISION London, 2018, “Save Reginald House and the Old Tidemill Wildlife Garden campaign”, YouTube, September 25, 2018, https://youtu.be/dk315II-TCM
◇News Shopper, 2018, “Old Tidemill Wildlife Garden Campaigners Served Court Notice”, News Shopper, September 26, 2018, https://www.newsshopper.co.uk/news/16902075.old-tidemill-wildlife-garden-campaigners-served-court-notice/
【追記(2018/09/28)】SRSTによる報告を紹介します。
◇Save Reginald Save Tidemill(@oldtidemillgrdn)
≫We won in court yesterday! A judge refused to allow @LewishamCouncil to evict us until Oct 24, 1 week after judicial review oral hearing. We have 1 month to shame @LewishamCouncil @PeabodyLDN to drop plans for destruction of garden & Reginald House & go back to the drawing board!≪
[2018年9月28日0:31(現地時間)https://twitter.com/oldtidemillgrdn/status/1045455988546043904
【追記(2018/10/07)】新たな報道を紹介します。
◇Powell, Michael; Carlin, Brendan, 2018, “Save Our Parks! Victory as Government Orders Local Councils to Stop Selling off Green Spaces after Army of Readers, Experts and Celebrities Back Mail on Sunday Campaign”, Daily Mail Online, October 7, 2018, https://www.dailymail.co.uk/news/article-6248277/Save-parks-Victory-Government-orders-local-councils-stop-selling-green-spaces.html
【追記(2018/10/08)】発表された論考を紹介します。
◇Mudlark121, 2018, “Save Reginald, Save Tidemill: Resisting New Enclosures and the Destruction of Social Housing in Deptford”, Past Tense, October 7, 2018, https://pasttenseblog.wordpress.com/2018/10/07/save-reginald-save-tidemill-resisting-new-enclosures-and-the-destruction-of-social-housing-in-deptford/

■文献
◇Fraser, Calum, “Garden to be lost in estate demolition”, South London News, June 19, 2018, https://www.londonnewsonline.co.uk/garden-to-be-lost-in-estate-demolition/
◇Milburn, Ella, 2017, “Lewisham Residents Fighting to Save Homes from Demolition Accuse Council of ‘Social Cleansing'”, Eastlondonlines, December 8, 2017, http://www.eastlondonlines.co.uk/2017/12/lewisham-residents-fighting-save-homes-demolition-accuse-council-social-cleansing/
◇Real Media, 2018, “Old Tidemill Wildlife Park: Locals begin direct action occupation to save 74 trees”, Real Media, September 2, 2018, https://realmedia.press/old-tidemill-occupation/
◇Save Reginald! Save Tidemill!, n.d., “Help us Save Reginald House and Tidemill Wildlife garden”, Crowdjustice, https://www.crowdjustice.com/case/save-reginald-save-tidemill/
◇The Deptford Dame, 2018, “Tidemill Campaigners Seek Funds for Judicial Review”, The Deptford Dame, August 16, 2018, https://deptforddame.blogspot.com/2018/08/tidemill-campaigners-seek-funds-for.html
◇Witton, Bridie, 2018, “Occupation of Old Tidemill Wildlife Garden Continues Despite Council Order”, News Shopper, August 30, 2018, http://www.newsshopper.co.uk/news/16606512.occupation-of-old-tidemill-wildlife-garden-continues-despite-council-order/
◇Worthington, Andy, 2018, “Why We’ve Occupied the Old Tidemill Wildlife Garden in Deptford to Prevent Lewisham Council’s Demolition Plans”, Andy Worthington, August 31, 2018, http://www.andyworthington.co.uk/2018/08/31/why-weve-occupied-the-old-tidemill-wildlife-garden-in-deptford-to-prevent-lewisham-councils-demolition-plans/
◇山脇啓造 2012 「[多文化共生社会に向けて:第63回]ロンドン・ルイシャム区」,JIAM全国市町村国際文化研修所メールマガジン(2012年6月27日),https://www.jiam.jp/melmaga/kyosei/newcontents63.html

トークセッション「オリンピックとジェントリフィケーション」出演にあたって

2018/09/01 村上 潔

9月12日、新宿の〈カフェ・ラバンデリア〉で開催される、《[『支援』トークセッション:2018秋]オリンピックとジェントリフィケーション――ジェンダー・文化・アクティヴィズムの観点から》という企画に、佐藤由美子さん(〈トランジスタ・プレス〉代表)とともに出演することになりました。企画の詳細は、チラシ(画像データ●→Link/PDFデータ●→Link)をご参照ください。ここでは、私=村上が出演にあたっていま考えていることを、簡単に提示してみたいと思います。

この企画の告知が開始された8月28日、私は自分からの情報発信のためのWebページを作成・公開しました。
◆トークセッション「オリンピックとジェントリフィケーション――ジェンダー・文化・アクティヴィズムの観点から」(佐藤由美子×村上潔)
http://www.arsvi.com/2010/20180912mk.htm
そこに掲載した「トークにあたって」という短い文章を、以下に転載します。

まず初めにお断りしておきます。私は地理学者ではありません。ジェントリフィケーションを専門とする研究者でもありません。ジェントリフィケーションを理論的に掘り下げて探究したことも、ジェントリフィケーションの事例調査をしたこともありません。私は、女性思想史・女性運動史と、それにまつわる都市文化史の研究者です。しかし、その私にとって、ジェントリフィケーションはとても重要な意味をもつ、取り組むべき課題です。けっして無視できないものです。このトークでは、そのことについて、具体例を挙げつつお話したいと思います。それは、地理学/社会学研究として、もしくは社会運動として、いま現在ジェントリフィケーションに向き合っている人たちに対して、(直接/すぐに役立つものではないかもしれませんが)何らかの示唆を提供するものになりうると考えています。会場で、様々な接続面と断絶面が浮き上がってくることを期待しています。

最初、(当日司会を務めてくださる)堅田香緒里さんからこの「オリンピックとジェントリフィケーション」と題した企画への出演オファーを頂いたとき、まず頭をよぎったのは、「こんな大きな・重要なテーマについて話すのが私でよいのか」という思い(と不安)でした。もっと「適任」なかたの顔が何人も思い浮かびました。ただ、おそらく堅田さんもそれを承知で私にオファーを出されたのだろうとも考えました。そしてなにより、共演者が佐藤由美子さんということに、少なからぬ必然性を感じました(私はこれまで、佐藤さんがいる〈カフェ・ラバンデリア〉●→Linkには何度も行っていますし、前身の(飯田橋にあった)〈ポエトリー・イン・ザ・キッチン〉にも一度だけいったことがありますし、佐藤さんが出演された京都でのイベント《『新約 ビート・ジェネレーション』刊行記念イベント》●→Linkにも参加しましたし、そして〈トランジスタ・プレス〉の刊行物も数冊所持しています)。そこで、この何がしか縁を感じる、なかなかありえない、何が起こるかわからない、奇妙で魅惑的な機会を逃す手はないと判断し、出演を引き受けることにしたのです。

ただ、せっかく私と佐藤さんという組み合わせで話すのだから、他の人でも――というかむしろ、他の人のほうがより効率よく――話せるような全般的な(教科書的な)話に終始してしまってはあまり意味がないし、何よりせっかくの機会が「もったいない」だろう、とすぐに感じました。そこで、「ジェンダー・文化・アクティヴィズムの観点から」という副題を入れることを、私から堅田さんに提案しました。幸いにもこの提案はすんなり受け入れられたので、少なくとも私からは、こうしたテーマ(問題意識)をメインに据えて、個人報告と、佐藤さんへの問いかけ(・応答)を構成していく予定です。

女性・ノンバイナリーの――とりわけ移民/シングルマザー/DVサバイバー/セックスワーカー/ホームレスといった立場の――人々の生と性、そして労働。それは(オリンピックのようなメガイベントと連動した)ジェントリフィケーションという、資本と/の政治による都市の動態によってどのように影響され、どのような反応を示しているのか。その現象全体をいかにしてフェミニスト・パースペクティヴから位置づけ・意義づけ・展望していくことができるのか。私はこうした課題を設定しています。そのアプローチとして、身体性/メンタリティ/再生産/自然/踊り・音楽・(広義の)詩/占拠/抵抗、といった要素を活用してみたいと考えています。佐藤さんや参加者の方々とどう共振できるのか/ズレるのか/対立するのか、いまはまだわかりません。当日が楽しみです。きっと、シビアだけれど創造的な場になると思います。

なお、私が作成している上記Webページには、現時点で以下の項目を掲載しているので、参加されるかたは企画前にご参照いただくと(また、企画に参加できないかたにも)参考になるかと思います。企画終了後もレポートや補足情報を掲載するかたちで随時更新していきますので、適宜ご参照ください。
◇告知(Announcements)
◇関連文献(Related Documents):村上潔
◇トーク内容(Contents of Lecture):村上潔
 *現時点では「参考文献(References)」のみ掲載
◇関連情報(Related Information)


【追記(2018/09/27)】
■参考
◇村上潔 20180927 「トークセッション「オリンピックとジェントリフィケーション」を終えて」,反ジェントリフィケーション情報センター

[詩]女と水と導火線――『月夜釜合戦』に寄せて

2018/01/12 村上 潔

広がる葦原
淀んだ水

ぬかるむ土
くすんだ空

女が立ち
しゃがみ込む

海と陸の境
水が浸食する世界

無名の命の生まれるところ
育む者はない
その女のほかに

手なずけられない女
庇護者をもたない子

それらは街の中心から弾き出される
誰からも厄介な存在として

女はしかし
見えない水脈を辿って反撃する
誰も気づかぬうちに
じわじわと
じっとりと
ずぶりと

男たちは奪い合う
土地を
鉄を
金を

女は育み再生する
湿気たマッチを
見も知らぬ子を
無数の眠る魂を

狼煙を上げるのではない

葦草と貯木につけられた湿った炎は
地下の導火線を伝い
凪いだ風に乗り
渇いた街を低温火傷させる

それが女の反攻
水の世界の奪還

いま時を越え
忘れられた命の生き直しが始まる

――
cf. 映画『月夜釜合戦』

ジェントリフィケーションとメランコリー――都市徘徊者Qの今年の五冊

2017/12/31 Q

【1】Jeremiah Moss, Vanishing New York: How a Great City Lost Its Soul, Dey Street Bookes, 2017

【2】Enzo Traverso, Left-Wing Melancholia: Marxism, History, and Memory, Columbia University Press (2nd Revised Edition), 2017

【3】Alex S. Vitel, The End of Policing, Verso, 2017

【4】William Clare Roberts, Marx’s Inferno: The Political Theory of Capital, Princeton University Press, 2017

【5】China Miéville, October: The Story of the Russian Revolution, Verso, 2017[松本剛史訳『オクトーバー――物語ロシア革命』筑摩書房]

 ここにあげたのは、ベストというわけではなく、というのは、それを選べるほど、同時代の本をたくさん読んでないからであり、また、たまたま2017年公刊の本があがったが、決して2017年公刊に限定しようとしたわけでもない。
 また、順番もさして意味がない。【1】に、ジェレミアー・モスの本(『消えゆくニューヨーク――いかに偉大な都市はその魂を失ったのか』)をあげたのは、やはり、このブログの性質をかんがえて、さすがに直接にジェントリフィケーションがらみの本がないのはマズイか、というところである。とはいえ、このジェントリフィケーションによって劇的に変貌するニューヨークをつぶさに報告して名高いブログをもとにして再構成された本書が、すばらしい一冊であることはまちがいない。
 つい最近あかされたのだが、著者のジェレミアー・モスは実は本名ではない。本当の名はGriffin Hansburyで、ソーシャルワーカーで精神分析家であるらしい。1993年22歳のとき、NYにはじめてきた。それは、ニューヨークの「終わりのはじまりの時期」であるという。
 この本は、27章からなっていて、具体的な場所――たとえばロワーイーストサイド、バワリー、リトルイタリー、イーストヴィレッジ、グリニッジヴィレッジ、ブルックリン、コニーアイランド、クイーンズ、サウスブロンクスなどなど――の報告にあてられている章を中心に、ときにピックアップされた論点をめぐって考察をくわえた章が編み込まれる、といった具合に構成されている。その論点は、ハイバージェントリフィケーション、ネオリベラル的転回、ツーリズム、エンロン社会などである。
 序文は次のようにはじまる。じぶんの人生の最大の悲劇のひとつは、ニューヨーク市にやってきたのが、その終わりのはじまりであったという不運である、1993年は遅すぎた。70年代80年代のパンクの時代にも遅れ、50年代60年代のビートニクの時代にも遅れ、戦時の40年代にも遅れ、ラディカルな左派の30年代にも遅れ、20年代10年代のボヘミアンの時代にも遅れ、さらにはウォルト・ホイットマンたちのプロト・カウンターカルチャーの時代にも遅れた。そしてこういうのである。

「この遅れてしまった経験は、怒り、悲しみ、苦い失望の入り混じった複雑な感情とともに、わたしがニューヨークとその消失について書くすべてを、確実に駆動している。このトピックについて、わたしは冷静ではいられない。わたしは偏向しているし、それにノスタルジアに傾きがちである。読者はあらかじめこのことを知っておいてほしい。ニューヨークタイムズはわたしを「黙示録的事大化の傾向のある」「ひねくれ者」、デイリーニュースは「汚物のフェティシスト」と呼ばわった。だが、わたしはニューヨークに、映画『マンハッタン』のオープニングでのロマンティクなウディ・アレン演じるアイザック・デイヴィスのようにやってきた。すなわち、この町を「桁外れに」偶像化し、ロマン化していたのだ。かれとおなじように、わたしもまた、この本に適切なトーンを求めて格闘した。深みがあるけれども、説教くさくもなく、また怒りも抑えて、と。しかし、ニューヨークの死について、この地球上でもっとも偉大な都市の死について、いったいこぶしをふりまわさずに書けるだろうか? ニューヨークは、説教にも怒りにも、ロマンスにもノスタルジアにも値する。ニューヨークは、情熱的で怒りに充ちた擁護に値するのだ」。

 このようにいっているが、もちろん、本書は怒りと説教にあふれているわけではない。しかし、本書の読むべきところのひとつは、こうしたプロは隠しがちである感情の次元を率直に表明して、それにあれこれの考察をくわえるところにある。それをみると、ますますよくわかるのだが、そもそも、トポフィリアの欠如ないし希薄な都市論ほど、おもしろみのないものもない。著者は、みかけの冷静さを与えることはしないし、ほとんど無際限につづくニューヨークを構成したもの、商店、バー、ライブハウス、建築物、出版物などなどなどなど、消失の事例にはトラウマ的ですらある深い悲しみと嘆きの次元がともなっているが、その感情を対象化し、率直に矛盾を表明したり、さらに正当な弁明を与えたりする、その内省からあらわれるさまざまな論点や考察が、評者にはきわめて共感を誘うのみならず、有益だった。
 また、この本は、ジェントリフィケーション論や都市論を、その近年の動向や論争をふくめて明快に紹介し、消化していて、ジェントリフィケーション論入門としても最適である。かれの造語である鍵概念「ハイバージェントリフィケーション」概念も、この理論的検討のひとつの果実である。この点もふくめ、いずれこのブログで紹介したい。
 【2】のエンツォ・トラヴェルソの本。装幀について、仏語版は地味だが、英語版はレーニンのアヴァンギャルド風のイメージがノスタルジックな紙質の風化のなかにおかれるといった、よくできたものであり、手にするだけでなんとなく充実感のあるものである。また、20世紀レフト文化に深く内在するメランコリーの意味を考察した内容にしても、啓発的であるだけでなく、深く感動的である。エンツォ・トラヴェルソは、まちがいなく現代でもっとも信頼できる思想史家だ。
 【3】『ポリシングの終焉』。この本は、BlackLivesMatterをその一角とする、近年の反レイシズムの流れのなかで本格化している、ポリシング、あるいは警察の廃止をめぐる議論の動向がわかるものである。ジェントリフィケーションがレイシズムや階級差別と骨がらみであることはよく論じられる(【1】でもさまざまに事例が出てくる)が、その裏面には、深刻化する治安や監視強化とあいまった警察の暴力がある。警察制度はなにからはじまったか? それは占領下の植民地住民の管理の装置からはじまった。もともと、警察それ自体が、反乱管理、抵抗の取り締まりを主体とするものであり、そこには必然的に、レイシズムと階級問題がある。警察を改良することは可能か? 真に市民のものとすることは可能か? 不可能かもしれない。といった問いのなかから、警察のない社会への構想がはじまっている。それをいま、わたしたちは想像もできない。だが、こうした切迫した抵抗があげる、最初はだれもとりあわないような小さな夢想から、時代は変化していくこともある。
 【4】『資本論』論。資本論第一巻は、ダンテの地獄篇を構成の下敷きにしているという、仰天の構想をもって論じられた本。最初は半信半疑で読んでいたが、意外と説得力があるようにおもう。マルクスを、マキアヴェッリ以来の共和主義的啓蒙の線上の政治思想家として捉えるといった試みでもある。Jacobin誌のデヴィッド・ハーヴェイの書評をきっかけに少し論争も起きた。
 【5】は、SF作家ミエヴィルのロシア革命論。このところあらわれた類書では、たぶんこれが一番だとおもう。
 今年の日本は、右傾化に歯止めがかかるどころか、代表制下の選挙とは人民を奴隷にする制度であるという標語を地で行くような選挙の狂騒、そしてついに「神がかりリベラル」のようなものもあらわれた。モスは、【1】のなかで、旅人と観光客を比較して、観光客は「安全安心見慣れたもの」を求め、都市はその潜在的都市嫌悪にむかってみずからを改造させるとして、旅人をそれに対比させている。旅人は、都市の新奇さと遭遇と危険のなかで「みずからの地平を拡大しようとする」人間のことであり、みずからの人生の転覆にもひらかれた人間のことである。ポール・ボウルズにならえば、観光客は旅に出てすぐに自宅のことを考える人間であるが、旅人とは「帰国しないかもしれない人間」のことである。もし、戦後精神にみるべき核心があるとしたら、それはこの「旅人」の感性、「地平を拡大」したいという精神をたしかに、いくぶんかはその糧にしていたことにあるだろう。それに対して、あられもなく「王」とナショナリズムにたよりながら「地平の死守」にはげむ「リベラル」の姿、そしてジェントリフィケーションとからみあった現代都市の「観光化」が、いまの日本の精神的状況としてどこか相関しているとみえても、これには無理がないのではないか。これはおそらく、現代、とりわけ3.11以降つづく「エリート・パニック」の一徴候のようなものでもあろうが、わたしたちが、おそらく、はてしのない精神的な転落過程を生きていることは、もはやあきらかである。かつて、金子光晴は、高度成長の「繁栄」のなかで、どうか「未来についての甘い夢を引きちぎって」ほしい、と、「日本人」に懇願した。わたしたちの社会は、わたしたちが想像するよりも破滅的なのだ、と。オリンピックもそうだが、なにかにつけて「フェス」を求め、小さな高揚を求めるこの社会のすがたにあるのは、ある感情の二面性であるようにおもわれる。つまり、悲哀と上機嫌である。古い比喩だが、モスの表明する悲哀はB面であり、A面はジェントリフィケーションの上機嫌であるということだ。現代は、この高揚と悲哀とが、かつての歌謡曲のように、混成し合って微妙な色合いを表現することなく、間隔の狭い深淵によって背中合わせにある時代である。
 今年はロシア2月・10月革命から100年だった。トラヴェルソの本からの引用で終わりたい。

「そして、[冷戦崩壊から]10年ののち、あたらしい運動が、「もうひとつの世界は可能だ」と宣言ながらあらわれたとき、それらの運動は、みずからの知的・政治的アイデンティティを再定義しなければならなかった。より正確にいえば、可視的で思考可能あるいは想像可能な未来なしに、世界においてじぶん自身――その理論と実践をともに――を再創造しなければならなかったのである。それらは、それ以外の「孤児」の諸世代が、それ以前にできたようには、「伝統の創造」をおこなうことはできなかった。あらゆる敗北にもかかわらず、解読することは可能でありつづけた炎と血の時代から、予期できる結果のみえないグローバルな脅威をはらんだあたらしい時代への移行は、メランコリックな色合いを身にまとっている。しかしながら、このメランコリアは、閉ざされた苦痛と想起の宇宙への撤退を意味してはいない。むしろそれは、歴史的移行をくるみ込む、感情と感覚のひとつの星座[コンステレーション]であり、あたらしい理念とプロジェクトの探究と、喪われた革命的経験の世界への悲哀や喪とを共存させうる、ただひとつの方法なのである。退行的なものでも無力なものでもないとすれば、この左翼メランコリアは、過去の重みを回避すべきではない。それは、現在の諸闘争にオープンでありつつも、みずからの過去の失敗についての自己批判を回避しない、ひとつの憂鬱な批判なのである。それは、ネオリベラリズムのえがきだす世界秩序を甘受することはしないが、歴史の敗北者に共感をもって同一化することなしに、その知的な武器庫を一新することをなしえぬ、ひとりの左翼による憂鬱な批判なのだ。20世紀の終わりには、そのおびただしい[敗北者の]群れに、敗北した左翼のある世代総体――あるいはその残党――が、いやおうなく加えられた。しかしながら、かつての、天をも揺るがすこと[勇敢に闘うこと(storming heaven)]こそが、喪った同志たちを悼むための最良の方法にみえた時代には斥けられてきたこのメランコリアを、いま、はっきりとみえるようにすることによって、それを実りあるものにしなければならない」。

Wem gehört die Stadt? 都市は誰のものなのか(1)――koZe(コッツェ)を題材に

2017/11/27 小美濃 彰

 ドイツ北部・ハンブルクの中央駅を出て5分も歩かないうちにミュンツフィアテル(Münzviertel)という住宅街にたどり着く。この地区の近隣には、中央駅とハンブルク市庁舎を結ぶショッピングストリートのメンケベルク通り(Mönckebergstraße)、外国人の経営する商店や料理店が多く集まり、住宅の再開発もすすむザンクトゲオルグ(St.Georg)などが位置している。さらに、この地区から南にくだっていくと、エルベ川北岸の港湾地区の再開発によって誕生したハーフェンシティ(Hafen City)にたどり着く。ハーフェン(Hafen)というのは「港」を意味するドイツ語で、この地区はもともとレンガ造りの港湾倉庫街であったところを住宅・企業オフィス・レジャー施設などへと転換させた場所である。
 ここで紹介するkoZe(Das kollektive Zentrum)――「コッツェ」。英語にするならthe collective centre――は、上記のミュンツフィアテル内にあった廃校(旧ろう学校)をスクウォットして生み出された自主管理スペースである。この旧ろう学校のスクウォッティングが宣言されたのは2014年7月のことだが、一年強の期間を経た2015年9月から部分的な排除を受けはじめるようになり、2016年10月には完全に立ち退いてしまったようである。
 このkoZeは、拡張へと向かおうとするハンブルクの都市政策が内包する矛盾に対して闘われたひとつの事例であり、いまハンブルクで何が起きているかということの一端として目を通してもらえればと思う。小さな特別市――特別市は単独でひとつの連邦州に相当する。ベルリンも同様――であるハンブルクでは、都市規模を拡大しようにも面的な拡張を望み難く、既存の土地利用や空間編成をいかに転換していくかということが政策の焦点となっている。その中で大規模に再開発されているのが港湾地帯のハーフェンシティであり、このハーフェンシティとの差異化という意図に従属するかたちで、ハンブルクの住宅不足を少しでも緩和すべく白羽の矢が立った地区のひとつがミュンツフィアテルなのである。

1. ミュンツフィアテル

都市は誰のものなのか(1)
※〔図1〕Bezirksamt Hamburg-Mitte, Aktive Stadtteilentwicklung 2005-2008(発行年不明)に掲載されていた地図から作成。

 ドイツ鉄道のハンブルク中央駅と長距離バスターミナルなど主要交通機関に隣接し,市中心部だけでなくハーフェンシティという再開発地区にも隣接しているミュンツフィアテル。隣接しているといっても実はこの地区、北側の中央駅から南/南東に走る線路、南部を東西に横切るアムジンク通り(Amsinckstraße)など複数の線に囲まれて分断された、小さな地帯である〔図1〕。
 中央駅や、北東に位置するザンクトゲオルグなどへのアクセスはアルトマン橋(Altmanbrücke)や鉄道高架下を抜けるレプゾルト通り(Repsoldstraße)に絞られているし、南側ではアムジンク通り(Amsinckstraße)のほかにノートカナル通り(Nordkanalstraße)やノートカナル橋(Nordkanalbrücke)、シュパルディング通り(Spaldingstraße)が横切っている。これらを渡って地区の南側へ向かうには、車の往来を縫って渡るのでなければ東か西に大きく迂回する必要がある。パッと地図を見たところでは分かりづらいのだが、こうした地理的条件によってハンブルク市中心部の発展から取り残されつつあるということは、かねてより指摘されてきたことであった〔注1〕。
 ミュンツフィアテルを行政区域に含んでいるハンブルク中央区(Bezirksamt Hamburg-Mitte)が発行した資料“Aktive Stadtteilentwicklung 2005-2008”を見てみよう。この中では上記のほかに、地区内に緑地が少なすぎるということ。あるにしても私有地や廃校など利用の制限されたものしかないことや、地区に隣接している保健所に通っている薬物中毒者の出入りをフェンスで防いでおく必要があるといったことなどが取りあげられている。
 この資料は、こうした諸課題の克服をめざした都市開発の構想であり、そのタイトルを直訳するならば「積極的な都市開発 2005-2008年」といったところである。ここでの「積極的」という言葉が向けられているのはおそらく、再開発の対象となるミュンツフィアテルの住民参加のことであろう。実際にハンブルク中央区とミュンツフィアテルの住民団体との間でも、交渉が重ねられてきた。「芸術街」(Kunstmeile)と呼ばれる地区にも隣接し、すでに触れたような地理的環境などから比較的家賃が低くなっているミュンツフィアテルには芸術家や学生の住民が多く、交渉の先頭にたっていたのはKunst Labor Naher Gegenden e.V.(以下、KuNaGe)という芸術家グループであった。
 このKuNaGeと中央区行政との交渉を中心に進められた「積極的な都市開発」は、①「芸術と社会」(Kunst und Soziales)、②「住宅と住民」(Wohnen und Bewohner)、③「(半)公共空間」((Halb-) öffentlicher Raum)という3つの柱を掲げていた。①では、住民が芸術活動を通じた地区の活性にたずさわっていくこと。②では、ミュンツフィアテル固有の居住機能をどのように構築していくか。③では、狭いミュンツフィアテルにおいて、庭園などの私有地も地区の景観を飾るような「(半)公共空間」として活用していく、ということがそれぞれ主題化されていた。
 アクティビストらがスクウォットしたろう学校は、②「住宅と住民」のなかで新たな住宅建設プロジェクトの対象として焦点化されていたものである。このろう学校の敷地はミュンツフィアテルを含む三角地帯のほぼ中央に広がっているため、これをどのように活用するかという問題は開発に対する住民の要求の中心にもなっていたのである。この場所を、住民に役立つような形でどう領有していくかということが問題だったのだが、行政との交渉が断絶し、ここがスクウォッティングによる闘争の場へと変わったのは、所有者であるハンブルク市がこの場所を住民から一方的に奪い取ったことに起因している。

2. 空間の奪い合い――koZe

 すでに触れたように、ろう学校のスクウォッティングが宣言されたのは2014年7月だが、この半年以上前の2013年10月から、KuNaGeがろう学校跡地の無料・一時利用を所有者であるハンブルク市に対して要求していた。ミュンツフィアテルではフードコープのタンテ・ミュンツェ(Tante Münze)や、自転車利用者からなる互助グループのラートキュッヒェ・ミュンツェ(Radküche Münze)といった団体が活動しており、それぞれが活動スペースを要求していたのである。フードコープにせよ自転車修理の互助グループにせよ、参加者が集まりやすく、そしてなによりも家賃や光熱費による費用負担を低く抑えることのできる場所が必要になるからだ。
 これに対し市当局は要求を拒み続けたが、その後も一時利用の請求をおこなってきたKuNaGeに、2014年6月になって諸経費込みで6.95€/㎡という賃貸を提案している。しかしKuNaGeが要求していたのは上記のような理由にもとづく無料利用であり、賃貸の提案を却下している〔注2〕。翌月に実行されるスクウォッティングには、簡単に言ってしまえばこのような背景があった。しかし、この行動はただ賃貸料の請求に反発したのではない。一度は警察により排除されたが、このスクウォッティングを経て無料での一時利用を獲得したkoZeは、2014年12月10日付の“Kollektives Zentrum – Here we are”という声明で以下のように述べている。

 シュルツ通りとノルダー通りに面するおよそ8000㎡もの大きな敷地をめぐる、ミュンツフィアテルの人々の何年にもわたる取り組みを経て明らかになったのは、地区の開発への住民参加に行政が全く関心を示していないということだった。かなり長いあいだ空き家状態であった旧ろう学校の一時利用をもとめる懸命な請願は、この敷地を売却しようとするLIG〔引用者注:市有不動産を管理する市当局〕とこれに関心を示すHBK〔引用者注:市がろう学校跡地を売却した先の民間企業〕の間でもて遊ばれ続けてきた。今こそ官僚的なくだらない会話と偽りの住民参加から抜け出して行動する時であり、今年の7月に起きた約200人によるスクウォッティングとkoZeの成立もそういった行政の振舞いの帰結である。〔…〕2011年にはこの土地の開発計画案の学生コンペが開催され、ハーフェンシティ大学の学生や教員、そしてミュンツフィアテルの住人らが数か月に渡って取り組みを行ってきた。〔…〕財務局〔引用者注:LIGはここに属する一部署〕がここで表彰や選考過程にも参加していたにもかかわらず、このコンペの結果は現行の新規建設計画に全く取り入れられていない。2013年の末になると、ミュンツフィアテルでは旧ろう学校の敷地がとある投資企業に引き渡されたことが明らかになった。その企業〔引用者注:HBK〕は2013年12月に建設計画案を発表したが、敷地引き渡しの可否がかかったこの計画内容で、2011年の学生コンペの結果はまったく考慮されていなかったのである。
(※koZeウェブサイト内のリンク切れで現在閲覧不可。最終閲覧日:2016年1月5日)

 これを見る限りでは、ミュンツフィアテルの再開発が行政と住民との間で当初から決定的に対立したものではなかったということが明らかである。ハーフェンシティ大学というのは、都市工学や建築学を主要学科として2006年に新設された大学で、これと連携してミュンツフィアテルでは数カ月にわたる開発案のコンペをおこなっていたようでもある。ところが2013年12月、HBK――ハンブルクに拠点を置くデベロッパーであるHanseatische Bau Konzept GmbH & Co. KG――の発表した計画が2011年のコンペを反故にしたものであるにもかかわらず、ろう学校の敷地売却が決定されたというのである。
 HBKの提示した計画は、家賃設定が自由である学生向け住宅を50%、世帯向けの社会住宅を50%(うち20%は高齢者介護付住宅)という住宅建設案であった。しかし、2011年のコンペで1位に選出された計画案には、コーポラティブハウスや社会住宅、アーティスト向きのアトリエ兼住宅、野宿者のための臨時宿泊所、職業訓練生向けの寮、フードコープ、保育所、音楽室といった構想が盛り込まれていたのに、これがHBKの計画に全く反映されていないということをKuNaGeが指摘している〔注3〕。スクウォッティングによってkoZeが誕生したということは、自分たちのアイディアにしたがって、自分たちの手によってのみ都市空間を領有していくという意志の実践的な表明であり、行政や資本に対する救いようのない失望と徹底的な拒否を示しているのである。
 ろう学校を占拠したあとにハンブルク市が利用を追認したのは、敷地全体からすると大きくなく、もともと保育園だった部分とその園庭のみであった。それでも活動を開始したkoZeは、当初からKuNaGeによって要求されていたフードコープや自転車の修理工房だけでなく、バー営業や上映会、講演会などさまざまな形で、さらに難民支援の拠点としても活用していくことで、この場所を地区内外に開いていった。また、保育園の園庭は地区に不足していた遊び場として開放され、室内ではヨガや格闘技の教室が開講されるまでに活動は広がっていった。
 koZeが目指していたのはおそらく、この場所を拠点としてどれだけ多くの人びとを組織化していけるかということ。この場所をより多くの人の生活のなかに組みこめるような形で領有していくことである。そして、そのための呼びかけにもなっている活動は、上記のような実践をはじめとして多岐にわたっている。目標とされていたのは、koZeという場所にたいして権力や資本が何らかの圧力を加えたとき、それが空間的に局限されたものでなく、そこでの実践を根拠として形成されたネットワーク総体への攻撃として受けとめられるような組織化なのである。ハンブルクの地元紙『ハンブルガーアーベントブラット(Hamburger Abendblatt)』に掲載されたkoZeからの声明では、「事態をエスカレートさせるつもりは無いが、市当局が地区の市民団体や難民グループ、炊き出しなどあらゆる活動を路上に投げ出すというのであれば、政治的な拠り所を喪失した悲しみや怒りが蔓延することになるだろう」とも述べている〔注4〕。「自分たちでこの空間を創っていく(Wir gestalten diesen Raum selbst!)」のであり、「そこに役所や政府はいらない(Hierfür brauchen wir weder Behörden noch den Senat.)」のである〔注5〕。しかし、koZeがこのようなものとして根付いていくほど、敷地内の建物を取り壊すためにいずれ立ち退きを要求することになる市当局やHBKによる措置は、当然強硬さを増していかざるをえない。
 koZeが活動を開始して以降、利用が許可されている保育園部分のほかにも使用契約を拡大するという要求がkoZeやKuNaGeから市当局に対してなされてきたが、両者のあいだに対話がもたれることはなく、それでもkoZeが無許可のまま建物の使用を広げるなどして双方の態度がますます硬直していった。そうした状況下で、2015年7月27日の朝5:30に一切の予告なしにkoZeへ工事業者が進入し工事資材が搬入されるということがあった。これに気づいたアクティビストが門を閉鎖して責任者との面談を要求すると、公安警察2名と同行してきた当局の代表者はkoZeとの交渉に応じず、機動隊を投入して資材の搬入を再開したのである。この工事はkoZeが利用している保育所部分と庭を挟んで反対側に位置する旧ろう学校校舎のアスベスト検査であるとされており、作業区域への立ち入りを禁止するためにベニヤ板を並べた壁が作られ、これを警察が24時間体制で警備するという状態がその後6週間にわたって続いた。その間に事態がエスカレートすることはなかったが、9月2日に突然、庭部分の強制排除が開始された。その日の朝5時半頃、警察がkoZeに対して庭にあるものを7時までのわずか1.5時間以内に全て撤去するよう命じ、koZeのアクティビストが庭のものを建物内部へと移動させている間にもショベルカーによってツリーハウスなどが撤去されてしまったのである〔注6〕。
 koZeが発行していたミニコミ“Cozy Times”は2015年9月の様子を記録した第5号でとまっている。ウェブサイトの更新も滞っており、最近の活動の詳細は分かっていない。ただし、koZeのFacebookページを見ると、2016年10月29日に開かれたパーティーを最後にして、それまでのろう学校の敷地内からは完全に退去しているようである〔注7〕。

3. koZeを足がかりに何を見るか――ハンブルクで起きていること

 かなり大まかな形で、ハンブルクのスクウォッティング運動についてkoZeという事例紹介をおこなった。ミュンツフィアテルに現われているのは、都市全体を俯瞰してその構造を再編しようとするハンブルクの都市再開発政策と、それぞれの生活の中で都市空間を生きている住民との間の空間の領有をめぐる対立である。とはいえ、koZeとミュンツフィアテルの事例だけではこのことをすべて説明できていない。少しずつ視野を広げていくと、ミュンツフィアテルの再開発は、その南方に位置するハーフェンシティとの差別化が意図されており、さらにこのハーフェンシティの再開発は、「エルベ川を飛び越える」ような形で港湾地域一帯をハンブルク中心市街に統合させていくという構想を含む、「成長し続ける都市」といったモチーフのもとにあることが明らかになってくる。
 「成長し続ける都市」・「エルベ川を飛び越える」というスローガンは2000年代のはじめに採択されたものだが、そこから現在にいたるまでにはオリンピック招致運動の挫折――2024年夏季五輪招致が住民投票によって否決された――といった出来事もあった。だからといって、「成長し続ける都市」という都市再開発のモチーフが破棄されたわけではない。2017年11月初頭の『シュピーゲル(Der Spiegel)』の記事によれば、ハンブルク西部の鉄道ターミナルになっているアルトナ駅を、市の中心寄りの隣駅・ディープシュタイヒ駅(Diebsteich)に移すという大規模な開発計画が浮上している。それによって運行が時間通りになり、乗り換えが楽になり、また中央駅の負担も分散されるというのが、ドイツ鉄道とハンブルク市の言い分である。ディープシュタイヒ駅が拡張されて新たなアルトナ駅となることで、もとのアルトナ駅は広大な空き地ができる。ここに新たな宅地開発が可能になるというのである〔注8〕。
 こうした動きも含めて、「成長し続ける都市」というモチーフが現在においてどのように働いているのかを注視していく必要がある。そしてそれが、さまざまな地区でどのような葛藤をひき起こしているのかということにも着目していかなければならない。今回はとっかかり点としてミュンツフィアテルのkoZeを取りあげたが、次回以降、すでに触れたような問題も含めてハンブルクで何が起きているのかということを、少しずつ考えていきたい。そして、常に“Wem gehört die Stadt?”と問い続けている取り組みのなかから反ジェントリフィケーションの戦術を学び取っていければと思う。

〔注1〕Bezirksamt Hamburg-Mitte, Aktive Stadtteilentwicklung 2005-2008(発行年不明)
 URL: http://www.muenzviertel.de/downloads/Themengebiet-Mnzviertel.pdf(最終閲覧日:2017年11月24日)
〔注2〕Der Münzviertel-Blog, Hauptsache Leerstand: ehemalige Schule für Hörgeschädigte Schultzweg 9
 URL: http://www.muenzviertel.de/blog/?p=1698(最終閲覧日:2017年11月24日)
〔注3〕Der Münzviertel-Blog, “Stadtplannung von Unten” oder Gelddruckmachine für profitgierige Investoren: Schlüsselprojekt: Neubebauung Schulgelände Schultzweg “Fördergebiet Münzviertel” (RISE)?
 URL: http://www.muenzviertel.de/blog/?p=1440(最終閲覧日:2017年11月24日)
Der Münzviertel-Blog, Einladung: Wahlanhörung zur Bürgerschaftswahl 2015 am 3.2.2015 um 19.30 Uhr im Werkhaus Münzviertel Rosenalle 11 2. Stock
 URL: http://www.muenzviertel.de/blog/?p=2442(最終閲覧日:2017年11月24日)
〔注4〕Hamburger Abendblatt, Sorge wegen einer zweiten Rote Flora in Hamburg
 URL: http://www.abendblatt.de/hamburg/article205372361/Sorge-wegen-einer-zweiten-Roten-Flora-in-Hamburg.html(最終閲覧日:2017年11月24日)
〔注5〕Solidarische Raumnahme, Rauhnahme im Münzviertel
 URL: http://www.raumnahme.de/Archive/522(最終閲覧日:2017年11月24日)
〔注6〕Das kollektive Zentrum, Cozy Times 4, 2015
 URL: https://www.docdroid.net/15zbs/cozy-times-4.pdf(最終閲覧日:2017年11月24日)
Das kollektive Zentrum, Cozy Times 5, 2015
 URL: http://koze.in/wp-content/uploads/2015/06/cozy-times-5.pdf(最終閲覧日:2017年11月24日)
〔注7〕URL: https://www.facebook.com/events/1879316975633139/(最終閲覧日:201年11月24日)
〔注8〕SPIEGEL ONLINE, Großprojekt Bahnhofsverlegung Altona Hamburgs Stuttgart 21
 URL: http://www.spiegel.de/wirtschaft/soziales/hamburg-neuer-bahnhof-altona-bringt-viele-nachteile-a-1175156.html(最終閲覧日:201年11月24日)

ジェントリフィケーションは差別を拡大再生産する

2017/11/20 原口 剛

 再生や再活用、ルネッサンスといった言葉は、影響を受けるであろう地域が、ジェントリフィケーションに先だってなんらかのかたちで力を奪われていたか、文化的な死に瀕していたことをうかがわせる。……けれども、往々にして見受けられるのは、ニュー・ミドルクラスがダイニングルームやベッドルームをひいきにしてストリートを蔑むかたわらで、きわめて活力ある労働者階級がジェントリフィケーションによって文化的に活力を奪われるという事実である。合衆国西部の「開拓者」というもともとの観念がそうであるように、現在都市に付与された「都市の開拓者」という観念は侮蔑的なものだ。いまもむかしもそれは、開拓されようとしている地域には誰も――少なくとも価値ある人々は誰も――住んではいない、ということを意味している。(ニール・スミス『ジェントリフィケーションと報復都市』ミネルヴァ書房、2016、57頁)

 TOKYO MX NEWS(2017年9月22日配信)によれば、「東京は5年連続で地価が上昇」し、「これまで上昇率の上位に入っていなかった荒川区南千住が一気に上昇率1位に上り詰め」たのだという(http://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=46512190)。南千住とは、大阪の釜ヶ崎や横浜の寿町とならぶ「三大ドヤ街」のひとつ、山谷がある地域だ。ずいぶん前から山谷の労働者福祉会館には、「山谷は労働者の街 労働者を排除する再開発反対!」というメッセージが掲げられていた。つまり山谷の労働者や活動家は、ジェントリフィケーションの波が押し寄せつつあること、自分たちの土地が脅かされつつあることを、肌身で感じとっていた。その予兆は、現実のものとなってしまったのだ。

 記事は、交通の利便性や商業施設の充実といった南千住の「人気の秘密」を挙げ、さらには次のような言葉を書き連ねる。「昔は怖くて来られなかった。うろうろしている人がいなくなったし、街がきれいになったから(うろうろする人は)余計にいなくなった」。ここで「うろうろしている人」と名指されているのは、この街で暮らしてきた日雇い労働者であり、失業した野宿生活者である。ジェントリフィケーションの過程にはらまれる暴力は、明らかだ。ここでは、過去のものになったはずの「浮浪者」という言葉が、よみがえっている。

 「ホームレス」という呼び名が一般的なものになったのは、1990年代以降のことだ。長らくかれらは、「浮浪者」と呼ばれてきた。戦前には「浮浪罪」という刑法の罪名があったことが示すように、その名ざしには流浪する下層労働者に対する敵対と差別が刻み込まれている。1980年代、横浜で少年たちによる野宿生活者の襲撃・殺傷事件――いわゆる「浮浪者襲撃殺傷事件」――が起きたことを受けて、この言葉に対する差別を告発する運動が取り組まれた。「野宿労働者」や「野宿生活者」といった言葉が提起され、やがて1990年代には「ホームレス」という言葉が定着していった。運動の力によって、「浮浪者」から「ホームレス」へと言葉は変えられたのである。しかし、野宿生活者に対する襲撃は現在まで起こりつづけている(http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/attackchronicle.htm)。各地で取り組まれている「よまわり」やパトロールは、この凄惨な暴力を二度と起こさせまいとする取り組みだ。

 上記の記事は、運動が勝ち取ったかろうじての成果や、いまだ取り組まれている地道な活動のすべてを踏みつぶし、ないがしろにする。同じようなことは、ほかの場所でも起こっている。もうひとつのドヤ街、大阪の釜ヶ崎ではどうだろうか。この地において「西成特区構想」を主導した鈴木亘は、その著書のなかで、「ホームレス」とは「外部不経済」をもたらす存在――つまり工場の廃液と同じような存在――だと断じる。

 第1に、公園や道路などの公共空間を占拠することにより、第三者が使用できなくなる。第2に、結核などの感染症が蔓延し第三者に拡がる。第3に、周辺環境が悪化し地価や賃貸料が下がる。第4に、路上生活の長期化にともなって健康悪化が進むと、最終的に重篤疾患となり生活保護から高額の医療費が支払われる。第5に、ホームレスをみると通行人が気の毒に思って不幸な気分になる(これも立派な外部不経済である)。(『経済学者 日本の最貧困地域に挑む』東洋経済新報社、2016、11頁)

 この著者はしきりに「草の根」や「民主主義」を強調し、どうやら自身の立場がリベラルであると自認している。しかし他方で彼は、過去に活字化されてきた言葉のなかでももっとも露骨な差別を、なんのためらいもなく表明するのだ。注意してほしいのは、労働者を「うろうろしている人」と名ざし、あるいは「外部不経済」と名ざす行為が、ともに地価や賃貸料とセットで語られていることだ。つまりこれらは、ジェントリフィケーションという過程の最中で発せられている。とするならジェントリフィケーションとは、ニュートラルな経済的過程ではないし、都市経済の「自然な成り行き」でもない。あきらかにそれは、階級暴力を本質とする政治・経済的過程なのである。じじつジェントリフィケーションは、「浮浪者」という表現を呼び覚ましながら、野宿生活者に対する差別を拡大再生産させている。

 最後にもうひとつ、次のことを強調しておきたい。このような状況がもたらす影響は、決して山谷や釜ヶ崎だけにとどまるものではない。私たちがもしこのような言葉が流通することを許してしまったなら――しかも日雇い労働者や野宿生活者にとって反排除闘争の長年の拠点である山谷や釜ヶ崎でそれを許してしまったなら――、野宿生活者に対する差別は、都市全体へとおよぶだろう。差別の拡大と蔓延は、都市のいたるところで暴力をまき散らしていくことだろう。このような事態を、黙って見過ごすわけにはいかない。だから私たちは、反ジェントリフィケーションを唱えるのだ。