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ジェントリフィケーション入門(1)地代格差論

2017/08/15 原口 剛

 ジェントリフィケーションは、都心からほど近くの「インナーシティ」と呼ばれる場所に襲いかかります。そこは、昔から安い住居や宿が密集していて、貧しい都市住民がかろうじて住むことのできる場所でした。なぜそのような場所に、ジェントリフィケーションが襲いかかるのでしょうか。資本にとってのメリットは、どこにあるのでしょうか。そのことを理解するためには、ジェントリフィケーションの基本的な理論を知ることが必要です。

 ジェントリフィケーションの理論には、おおきくいってふたつの系があります。ひとつは、「どのような人々が、なぜインナーシティに移り住んでくるのか」に着目するもの。これは「消費サイドの説明」と呼ばれる系です。もうひとつは、「どのような論理がジェントリフィケーションの過程を作動させているのか」を探究するもの。これは、「生産サイドの説明」と呼ばれる系になります。どちらの系の理論も、ジェントリフィケーションを分析するための道具として欠かせません。けれども、「そもそもジェントリフィケーションとは何なのか」を理解するためには、とくに後者の「生産サイドの説明」が重要です。なかでももっとも重要な理論が、「地代格差」と呼ばれる理論なのです。

 まずは、「ジェントリフィケーション」という概念や「地代格差論」という理論が生み出された背景を確認しておきましょう。「ジェントリフィケーション」という用語が生み出されたのは、1964年のことでした。ルース・グラスというイギリスの社会学者が、『ロンドン』という著作のなかでこの言葉を生みだしたのがはじまりです。この著作のなかでグラスは、ロンドンのインナーシティで、これまでにない変化が起きていることを発見しました。上で述べたように、「インナーシティ」とは、都心ちかくに位置する場所です。そこには安価な住居や安宿が密集していて、だからこそ貧しい都市住民の住まいとなってきました。ロンドンだけではありません。どの都市であっても、インナーシティはかならず存在しています。ところがその場所に、新たな居住者、しかも裕福なミドルクラスが次々と住み始めていることに、グラスは気づいたのです。この新しい階級変容の現象に、グラスは「ジェントリフィケーション」という名前を与えたのでした(グラスが「ジェントリ」という言葉を用いたのには、歴史的に深い理由があるのですが、そのことは別の回にあらためて解説したいと思います)。

 1964年にルース・グラスが「ジェントリフィケーション」という言葉を生みだしてから、この新しい現象はすぐさま注目されるようになりました。というのも、この現象はロンドンだけでなく、世界各地のさまざまな都市で起こっていたからです。このような状況のなかで、さまざまな研究者が、「いったい何が起こっているのか」を解明しようと奮闘してきました。上で述べたふたつの系の理論は、そのなかで練られていったものです。そうして1979年、地理学者のニール・スミスが決定的な論文を公表します。その論文こそが、地代格差論(rent gap theory)だったのです。この地代格差論は、いまなおジェントリフィケーションを考えるための、もっとも重要な理論でありつづけています。それは、いったいどのような理論なのでしょうか。とても図式的になってしまいますが、その内容をおおまかに説明してみましょう。なお、1979年にニール・スミスが提起した「地代格差論」は、アップデートされて『ジェントリフィケーションと報復都市』の第3章に所収されています。もっと詳しく知りたいと思った方は、ぜひ手に取って読んでみてください。

 ジェントリフィケーションや地代格差論を理解するためには、そもそもなぜインナーシティが生み出されたのか、というところから考えなくてはなりません。ここで、図Aをみてください。これは、アメリカのシカゴを例にした図です。タテ軸は「地価」を、ヨコ軸は「都心からの距離」を示しています。つまりこの図は、都心からさまざまな距離をもつ、それぞれの場所の地価が、歴史的にどのように変化してきたのかを示したものです。まずは1873年と1892年を比較してみてください。都心の地価がぐんぐん上昇していって、それに引っ張られるようにまわりの地価も上昇していることがわかります。この頃のシカゴは、急激に都市が工業化していました。都心に企業や工業が集積することで、都心の価値が急上昇していたわけです。さて次に、1892年と1928年を比較してみましょう。すると、地価を示した波のかたちが大きく変化していることに、すぐ気づくと思います。都心はあいかわらず地価が急上昇していますが、都心から離れた外側の場所でも同じく地価が急上昇しています。だから地価の波のかたちは、それまでの山のようなかたちと違って、ふたこぶのかたちをしています。じつはこのとき、新しい都市形成の過程が始まっています。つまり、郊外化という過程です。急激に都市化した当時のシカゴでは、資本主義の矛盾が爆発し、街は工場のばい煙で覆い尽くされていました。なにより、新たに流れ入った労働者たちが階級闘争を繰り広げる舞台となっていました。怒りと闘争心に満ちた労働者たちの群れに直面した富裕層は、それまでのように都心に住まうことを嫌い、心安らぐ地を求めました。そうして、郊外にじぶんたちの住宅地を求めるようになったのです(だからアメリカでは、郊外化は「ホワイト・フライト(白人の逃避)」とも呼ばれます)。それとともに、郊外には莫大な開発資本がこぞって投下されていきます。山を崩し、森を拓き、富裕層に向けた住宅地である「ブルジョワ・ユートピア」が開発されていったのです。

20170815ht-A図A:『ジェントリフィケーションと報復都市』103頁より

 さて、もういちど図Aに目を戻してください。都心からほど近い場所では、真逆のことが起っていることが分かります。都心と郊外の地価がどんどん上昇していくのに反して、この場所では地価が下落していくのです。この「地価の谷間」の場所が、インナーシティの地にあたります。この地では、いったいなにが起こっていたのでしょうか。どの時代でも不動産開発資本は、利潤のあがる場所を探し求めようとします。この時代は郊外こそが、高い利潤を約束する場所でした。なにしろ、それまで山や森や野原として放置されていた場所が一気に価値ある場所になったわけですから、資本はいっせいに群がります。かたやインナーシティは、より多くの利潤を追い求める不動産開発資本にとって、うまみのある場所ではなくなっています。だから、郊外につぎつぎと資本が投下され開発されていくその裏側で、インナーシティの建物や住宅からは資本が引き揚げられていきました。いわば資本から見放され、放置されたのです。修繕もろくに行なわれず、建物は老朽化する一方。見放されていますから、家賃は安い。そうして、貧しい労働者階級やマイノリティがかろうじて住むことのできる場所になったのです。こうしてみると、郊外の開発とインナーシティの形成とは、表裏一体の過程だったことがわかります(このことは、「不均等発展」という重大なテーマにかかわるのですが、それについては回をあらためたいと思います)。

 ここまで長々と都市形成の過程について述べてきました。もしかしたら遠回りに感じたかもしれません。けれどもジェントリフィケーションを考えるためには、たんに現在をみるだけでなく、それ以前の時代になにが起こってきたのかを考えることが欠かせません。都心/インナーシティ/郊外というように、時代の変遷のなかで都市が階級的に分割され、分離されてきた事実があるからこそ、ジェントリフィケーションは引き起こされるものなのです。いま、都市を見渡してみてみましょう。郊外はもう、あらかた開発しつくされてしまっています。ここまでくると、これ以上開発してもたいした利潤はあがらないし、不動産開発資本にとってたいした魅力はありません。では、インナーシティはどうでしょうか。ここで、図Bをみてください。これは先ほどの図Aとは違って、インナーシティの場所だけを切り取り、取り上げた図です。タテ軸には「金額」が、ヨコ軸には「(建設時から経過した)時間」が描かれています。そして、四つの要素(「価格」「住宅の価値」「資本還元された地代」「潜勢的地代」)の変化が描かれています。ちなみに「価格」というのは、「住宅の価値」と「資本還元された地代」を足しあわせたものです。多くの人は月々家賃を支払っていると思いますが(家賃も地代と同じく「レント(rent)」です)、この家賃には、家屋への支払いと土地への支払いが、どちらも含まれているのです。図Bからみてわかるとおり、新たに建てられた住宅の価格は、時を経るとともに下落していきます。

20170815ht-B
図B:『ジェントリフィケーションと報復都市』111頁より

 しかしジェントリフィケーションにとってなにより根本的なのは、じつは、「資本還元された地代」と「潜勢的地代」との関係なのです。「資本還元された地代」とはややこしい表現ですが、要するに現状の地代のことです。これに対して「潜勢的地代」とは、もしその土地をいまとは違う、別のかたちで利用したらならひょっとして得られるかもしれない、可能的な地代を指します。ここで思い起こしてほしいのですが、インナーシティでは住宅や建物が資本に見放され、放置されるという状態がつづいてきました。家賃や地代が安いからこそ、そこは貧しい労働者階級やマイノリティが住み続けることができたのです。このような状況が長らくつづくなかで「資本還元された地代」は、時間がたつとともに低下していきます。しかし、それとは反比例するように、「潜勢的地代」はどんどん高くなっていきます。要するにインナーシティでは、地代の側面からみれば、長きにわたり資本が引き揚げられてきたがために、「資本還元された地代」が「潜勢的地代」からかけ離れていくという事態が起きたのです。このふたつの地代のあいだの格差(ギャップ)が、地代格差と呼ばれるものです。

 この地代格差こそ、ジェントリフィケーションを駆動させる根本の原理です。地代格差が一定の大きさにまで広がったとき、そこにジェントリフィケーションの可能性が生まれます。上で述べたように、郊外は開発しつくされてしまって、もう利潤のうまみは消え失せてしまいました。そこで目ざとい不動産開発資本は、インナーシティに目を向け始めます。なにしろ、地代のありよう(資本還元された地代)は、他の場所に比べて極端に低い。しかも、別様に開発したら得られるだろう地代のポテンシャル(潜勢的地代)は、十分すぎるほど高いのですから。もしその場所をうまく開発せしめたならば――とおい昔に郊外がそうであったように――莫大な利潤をあげることができます。かくしてインナーシティは、ジェントリフィケーションの標的とされるのです。「都市再生」や「地域再生」を掲げたプログラムには、「好立地なのに地価が安い」とか、「開発により大きな価値を生む可能性がある」とか、そのような言葉が並べられることがよくあります。それらの言葉が指し示しているのは、まさに「地代格差」であり、ジェントリフィケーションなのです。

 このように捉えると、ジェントリフィケーションとはけっして「自然な過程」ではないことがわかります。それは、深く資本主義の力学に根差した過程なのです。郊外化の時代にあって資本主義は、「地代の谷間」であるインナーシティを生みだし、貧しい労働者階級やマイノリティを封じ込めました。ひるがえって現代では、みずからが生み出した「地代の谷間」へと開発の矛先を向け、そこから利潤を生み出そうとするのです。貧しい労働者階級やマイノリティは、かつて資本主義によってインナーシティへと封じ込められて、こんどはそのインナーシティから追い払われようとしています。この点からしても、ジェントリフィケーションが「階級」への問いから切り離せないことは、あきらかでしょう。

 さて、ここでは「地代格差論とはなにか」をおおまかに解説してみました。簡略化した解説ではありますが、要点は理解してもらえたのではないかと思います。ただし、ここで紹介したのは、あくまで地代格差論の図式的な説明にすぎません。これだけみるとジェントリフィケーションは、あたかも自動的に進んでいく経済的な過程であるように思われるかもしれません。けれどもじっさいには、ジェントリフィケーションとは、政治的な過程でもあります。そこには、立ち退きのような暴力や、労働者やマイノリティの闘争といった、さまざまな要素が深くかかわっています。それらのテーマについては、こんご回を重ねるなかで書いていきたいと思います。

公園にスターバックスがやってきた

2017/07/11 大阪城公園よろず相談(も)

yorozu

 いつものように大阪城公園の夜回りに行くと、ちょうどJO-TERRACE OSAKAの開業初日だった。公園の商業化という何とも憂鬱な事態である。市民の森から大阪城公園駅前の広場にぬけると、フェンスが取り払われ、きらびやかな街が現れた。暗がりから出たとたん、自転車を転がして歩いているこっちが場違いな状況に陥ってしまう。都市公園は、様々な人に開かれた場所であり、家を持たない人が宿りにくる木陰でもある。けれども、そういう都市公園が持っている一側面は顧みられることなく、公園行政は、見通しのよい公園にすると言っては木を切り倒し、古くなったと言っては公園内から屋根をなくしてしまった。そして、代わりにスターバックスカフェがやってきた。スタバは店員だけでなく客も一緒に連れてくる。公園でくつろぐ「市民」にコーヒーを売りにきたわけではない。彼らの世界のための席を設けたのだ。どうです、今度は都市公園を風景にコーヒーでも、と。これがジェントリフィケーションというやつだ。ところで、梅雨だ。元気なのはナメクジだ。ナメクジに塩をかけると水分が抜けてナメクジが縮むのは、子どもでも知っている。では大人に問題。公園に塩をかけるとどうなるか? 答え。資本に公共性が吸い取られ、公園もみるみる内に縮むのである。

*出典:『人民新聞』第1620号(2017年7月11日発行)http://jimmin.com/2017/07/11/post-3625/
*画像:「森ノ宮再開発散歩」(出典:『あしたのロジョー』第4号〔2015年5月1日発行〕http://park.geocities.jp/asitanorojo/rojo_index.htm

「北」からの移動者たち――「国民」をめぐる境界と排除

くいしんぼう 2017/07/15

 2016年の年末から2017年の初春にかけて毎週ロウソク集会に集まった人びとによってソウル中心部の路上が埋め尽くされ、朴槿恵前大統領の不支持率が90パーセントを越え、大統領弾劾の手続きが順を追って進められていっている状況のなかで、それでもなお大極旗を掲げながら朴槿恵前大統領を擁護し、ロウソク集会側を「反米、親北、共産主義の手先」と批判する人たちがいた。キリスト教保守主義者極右主義者、朴槿恵前大統領の父である朴正煕大統領時期のノスタルジーに浸っている人たちなどを中心にした、比較的年齢の高い層の人びとによって構成されているこの集団のなかに「脱北者」(以下、「」省略)と呼ばれる人たちも何名かいた。

 大韓民国憲法第三条では大韓民国が朝鮮半島で唯一の合法性を持った国家であり、国家の領土は朝鮮半島全体に及ぶと規定されている。この条項に従えば、北朝鮮地域から脱出して韓国に来た人たちは、北朝鮮政府によって不法に抑留された国民ということになる。実際、彼らが韓国に到着した際に提供される法的地位は、彼らが大韓民国国民であることを前提としている。ところが彼らは、他の人たちとはべつの名前で呼ばれる。その名が脱北者である。つまり彼らは法的には国民の地位にありながら、あくまで北から来た「異国人」として認識されているのである。1990年代後半から徐々にその数が増えはじめた脱北者たちは、どのような背景で危険をおかしてまで北朝鮮地域を離れ、どのような経路を通って韓国にたどり着き、そして韓国社会でどのように生きているのか。
 脱北者増加の背景には、1990年代の北朝鮮の経済危機が一つの要因としてある。1995年、北朝鮮地域は大洪水をはじめとする自然災害に見舞われ、1997年には1990年を起点にして約25パーセント以上も穀物生産が減少するなど、深刻な経済危機に陥る。特に北朝鮮地域内の北部山部地域や北東に位置する地域では、輸送経路が災害のせいで断絶し、配給が送られてこないという事態が発生した。こうした事態に対して政府は、「自力更生」や「難苦奮闘の革命精神」などを強調するものの、実質的な対策は講じえない状況にあった。こうした状況のなかで近隣の人々が飢えて死んでいくのを目の当たりにし、ある人たちは北朝鮮を脱出することを選択するようになっていった。
 脱出するにあたって、多くの人が踏む経路は北朝鮮北部に隣接している延辺朝鮮族自治区だった。この地域は、主に朝鮮半島北部の住民による19世紀後半からの間島への移住からはじまり、清朝、中華民国、そして帝国日本による「満州国」を経て、第二次世界大戦後の引き揚げ、国共内戦と中華人民共和国の成立、朝鮮戦争などの過程を経るなかで1952年に成立した朝鮮民族自治区である。北朝鮮と中国間で国境の画定はなされているものの、豆満江や鴨緑江を渡ればすぐに「越境」が可能であるために経済危機以前の時期からすでにこの河を行き来して、自治区の朝鮮族と北朝鮮住民が親戚関係を築いたり、当時経済的に貧しかった朝鮮族がその関係を利用して北朝鮮地域に入って生活必需品を売り、鉱物や健康食品などを買って中国に持ち帰り、経済活動をするという事例も多かったそうである。つまり、正確に言えば、国境線という観点からみたときこれらの地域は分離されているものと認識されるが、この地域で生活している人たちからすれば、言語や人脈、経済活動まで及ぶ一体的な文化地帯をなしており、それを「越境」行為として知覚する必要すらなかっただろう。そして1990年代の経済危機を迎えたときには、中—北間の移動にはすでにこうした文化的蓄積が存在しており、「自力更生」を唱えた北朝鮮政府もそれを黙過し、国境の取り締まりを積極的にしないなどの措置によって実質的に支援したのである。しかし、1990年代に入ってから北朝鮮地域から移動した人たちが、再び北朝鮮地域に帰るのではなく、中国国内に留まったり第三国へ移動するケースが増加する。そうした状況を見た中国政府は、以前なら中国に家族や親戚関係をもつものがいればすぐに発行していた訪問許可書の要件を厳しくするなどの政策を講ずることによって、本格的に国境の管理を強化するようになった。さらに中国内にいる不許可の脱北者の公安警察による取り締まりを強化することによって、朝鮮族と脱北者の間にも「境界」が引かれた。つまり、朝鮮族の人たちに対して脱北者を見つけたら警察に通報しなければならないという意識を持たせることで、朝鮮族と脱北者の間に意識的な「境界」を引いたのである。しかし、それでも脱北者たちは朝鮮族社会と協調的な関係を保っている場合が多い。1992年に中韓の国交が樹立されることによって、それ以降自治区の朝鮮族たちは多く経済移民として韓国へ渡ることになった。朝鮮族の人たちの移民によって空いた場所を埋めているのが脱北者であり、それは特に農村で目立つという。そしてそこに少しの間留まったあと、都市あるいは韓国、あるいは他の国に向かうというケースが多いのである。また、付言しておくべきことは、こうした移動経路のなかで中国内の朝鮮族の教会、あるいは韓人教会が大きな存在としてあるということである。ここで教会は、お金のない脱北者たちにその資金を渡したり、身柄を保護したり、韓国行きの情報を得られる空間として機能しているのである。もちろん教会だけが唯一のルートではなく、他にも多様なルートを通って、脱北者たちは韓国ないし第三国へ到達するということも注意しておく必要がある。
 こうしたルートを通って脱北者たちは、韓国にたどり着く。すでに述べたように、韓国にたどり着いた脱北者の人たちは、法的には国民という地位を提供される。しかし同時に、彼らは本当に脱北してきた人たちなのかを調べる尋問を受けて、「社会適応教育」を受けるために北朝鮮離脱住民定着支援施設ハナ院に入居しなければならない。こうした身元調査と教育の過程で、彼らは約3ヶ月あまりに及んで自分たちが脱北者であることを証明し、北朝鮮の現況や問題点などの情報を提供することによって、自分たちが北朝鮮を脱出しなければならなかった理由を説明し、「北」の体制を批判し、否定することを強いられるのである。また、その他にもハナ院の教育を終えて各地域の賃貸住宅に移り住むときに、その地域のハナセンターと管轄の警察署に自身の居住地を登録しにいかないといけなかったり、住民登録番号に脱北者用のコードを割り当てられることによって、番号を確認すればすぐ脱北者であることがわかるような措置を取られる。このような監視体制のなかで、脱北者は国家に従わなければ「スパイ」にされるのではないかという意識をもつようになるという。実際、国家情報院が北朝鮮に情報を渡したという捏造した情報をもとにし、脱北者を「スパイ」に仕立てあげるという事件も起こっており、それが「つぎはスパイにされるのではないか」という恐怖心を持つようになるのである。
 このように太極旗のもとにいた何名かの脱北者の背後には、幾重にも張り巡らされた監視網と、故郷を否定し大韓民国に従うように強要する力が作動している。彼らは、たえず国家に忠誠を誓っているということを身振りで示すことを要求されており、その限りで「国民」として認められる。太極旗側についた何名かの脱北者の人たちは、なぜ政府を擁護する側に回ったのかという問いに対する究極的な理由はわからない。しかし、彼らをロウソクの方へではなく、太極旗へと向かわせた背景に、「国民」であることの忠誠を証明せよという国家の力学が作動し、その力を敏感に読み取ったがゆえに、政府を擁護する側にまわってしまったという可能性を退けることはできない。そうした意味では、「国民」という装置にはつねに国家への忠誠を要求する論理と排除の論理が内包されていることを純粋な形で再確認させてくれる事例でもある。
 ここでは韓国でのうねりのなかから、よく主題にされるロウソクデモ側ではなく、前政府を擁護する立場にまわった人たちのなかにいた「脱北者」の人たちの姿と、その背後にある文脈を素描しようとしてきた。高秉權氏によるコラム同様、直接にジェントリフィケーションに関係している問題ではないが、主に都市空間で行われた大衆行動のなかに現われていた力学を分節化し、見極めることにつながると思われる。また、日韓共に運動のアイデンティティが「国民」という形象によって立てられる傾向が高まりつつある現在において、そうした呼称がつねに孕んでいる排除の論理を把握するという点においても、議論の幅を広げるのに有用であると思われる。

※本稿を作成するにあたっては、キム・ソンギョン氏の一連の研究(김성경「분단의 마음과 환대의 윤리:’태극기’집회 참가자들과 탈북자를 중심으로)(『민족문화연구 제75호』,2017),「경험되는 북・중 경계지역과 이동경로」(『공간과 사회 제22권 2호』,2014),「분단체제가 만들어낸 ‘이방인’, 탈북자」(『북한학연구 제10권 제1호』2014),「이곳에서 탈북자 사유하기」(『말화활 11호』,2016))、権香淑『移動する朝鮮族』(彩流社,2011)の1、4章、伊藤亜人『北朝鮮人民の生活 脱北者の手記から読み解く実相』(弘文堂,2017)を部分的に,そして『ハンギョレ新聞』2010.11.15 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/6449.html、『프레시안』2014.3.14 http://www.pressian.com/news/article.html?no=115413 を参照した。

高秉權「今は帳簿に何かを書く時だ」

 弾劾された朴槿恵に代わる新たな大統領を選出するための選挙結果を受け、2017年5月10日、韓国では革新系の最大政党、「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)が大統領に就任した。
 以下のテキストは、高秉權(コ・ビョングォン)氏によって、その数日前に京郷(キョンヒャン)新聞に発表されたものである。直接にジェントリフィケーションにかかわるわけではないが、この大規模な大衆運動は、都市空間を民衆が再掌握することと密接不可分であった。直接行動と選挙、デモクラシーの関係など、わたしたちの課題とも共有するものがあると考え、ここにアップする。
 高秉權氏は、研究者のコミューン、研究空間スユ+ノモ(※1)で長く「酋長」をつとめ、現在はノドゥル夜学(※2)の障害学究理所にて研究員。障害者夜学や刑務所など、社会で疎外されている人たちと学びを共にする「現場人文学」を地道に続けている。訳書に『哲学者と下女』インパクト出版会、2017年(今津有梨訳)がある。[yuri+Q]

(※1)大学という制度の外で研究と日常の間の距離を限りなく縮めようとする実験的空間とでも言えるだろうか。常にさまざまな講義やセミナーが自律的に運営されており、食事や散歩などを共にすることも大切にされている。現在はスユノモ104という空間がある。http://www.nomadist.org/

(※2)軍事独裁政権下で就学の機会を奪われていた重度障害を持った人々を対象にして、韓国で90年代以降あらわれる障害者夜学のうちの一つ。大学入学資格のための授業を中心に、美術や音楽、社会や哲学など幅広い学びを提供するのとならんで、脱施設/自立生活運動、バスや地下鉄の移動権闘争などを活発に行ない、2007年には活動補助制度(介助制度のこと)導入にこぎつけるなど、実際に成果もたくさん上げている。


今は帳簿に何かを書く時だ

高秉權

 数年前、外国の活動家たちに韓国の民主化運動の歴史を紹介することがあった。講演を準備しながら様々な映像資料を年代順に整理して見せた。それこそ吐き気を催させるような事件の連続だ。ところがふと歴史の中のわたしたちの希望と絶望がなんともまずいものだという考えが浮かんだ。情勢の浮き沈みの中で情勢よりも大きく浮き立ちまた情勢より早く挫折することがどれだけ多いことか。もちろん歴史の年表を手にした後世の人間が歴史的事件のうちで絶叫する者の態度を評価することは穏当ではない。1980年「五月の光州」を知る目でその数ヶ月前の「ソウルの春」に対する期待で胸を躍らせた人々を眺めることは心苦しいが、だからと言って未来に対する彼らの無知を責めることはできない。これから起きることをすでに起きたこととして見ることができる存在は神か後世の歴史家だけだ。

 最近の出来事を見るだけでもそうだ。たった一年前を思い出してみても、与党が総選挙で改憲ラインを確保するだろうという話題が出回ったものだ。けれども今はどうか。朴槿恵前大統領は監獄に入り、もう少し経てば新たな大統領が誕生する。万が一未来を知っていたなら、わたしたちが虚しい希望と不必要な絶望に陥ることはなかっただろう。だが未来に対する無知はわたしたちが決して取り除くことができないものではない。

 わたしが話をしてみたいのはその反対の方向だ。つまり、無知のために生まれる希望と絶望ではなく、希望と絶望のために生まれる無知についてだ。そしてこの無知はこれから起こることについてではなく、すでに起きてしまったか、今まさに起きていることに対するものだ。希望と絶望に陥っていると、過去をまともに記憶せず現在を注意深く眺めることもない。そうして未来についても浅はかな判断を下してしまう。そんな風に現実を回避するのだ。同じ人に対して相反する二つの感情が交差するのはそんな理由からでもある。希望に陶酔した人であるほど、絶望に対して弱く、絶望が大きいほど虚しい希望を見つけ出そうとするのが決まりだ。

 スタンダールは哲学者は銀行家に通じるところがあると語った。優れた哲学者になるためには銀行家のように幻想なしに実情を冷静に観察せねばならないということだ。わたしはこのことが優れた民主主義者になるためにも必要だと思う。金に対する俗物的執着は嫌いだが、金を貸してやった場所を正確に書き留めておき、感情に流されて自分の利益を損なうことがない貸付屋には学ぶべき部分がある。

 わたしだけなのかもしれないが、わずか数ヶ月前であるにもかかわらず、ろうそく集会があったのはもうはるかに昔のことのように感じられる。「これが国か」という絶望は絶望のまま残り、「政権交代」という希望はただ浮き立っている感情であるのみではないのか。帳簿に書き留めておいたものがないのだからこうして利子は言うまでもなく現金までも貸し倒れになってしまった。だから今でも帳簿に書き入れねばならないのではないかと思う。この数年間書き置いて来たものがないなら、この数ヶ月の間のことであっても思い出せるものを書き留めておく必要がある。わたしたちが耐え難かったのが何なのか、わたしたちがどうやって闘ったのか、その時の怒りも、闘志も、決心も、笑いもすべて書き留めて置かねばならない。そうしてこそ新しい執権者と民主主義の貸借対照表を検討することができる。

 現在は民主主義運動の視野が選挙運動へと極度に狭まっている時期だ。自分が信じる候補を当選させることが韓国社会を民主化させる道だという信念が一番強い時であり、候補たちもまた自らの記憶と意志をみんなのものとして確信している時だ。わたしたちの支配者になった衝動がわたしたちの経験に対する解釈の全権を得るように、新たな執権者はろうそく集会の原因と過程に対する記憶の相当部分を掌握することになるだろう。帳簿になければ彼はわたしたちに利子を払うどころか借りを返せという督促状まで突きつけてくるかもしれない。だから勝利者に完全な信を与えるのは謹まねばならず、彼を督促する仕事もなまけずに行わねばならない。民主主義に関する限り、指導者として選出された者は債務者であるという事実を債権者が忘れてはならない。わたしたちはいつでも勝利に陶酔した彼の目を覚ます冷や水の一杯を準備して置かねばならない。

 だからわたしも帳簿にひとつ書き記した。過ぎた4月21日、「障害者差別撤廃の日」に行進に臨んだわたしたちは大邱市立希望園でおきたおぞましい事件に抗議して大統領候補者たちの党舎へと赴いた。希望園は大邱市が設立した収容施設としてカトリック大邱大教区が委託運営をしていた場所だ。ここではこの6年の間に実に309人もの収容者が死亡し、その少なくとも29人が国家人権委員会による調査結果、「疑問死」というものだった。どうしたらこんなおぞましい事件を起こしうるのかと運営者にだけ悪態をつく人々は、障害者を隔離して収容する施設そのものがどれだけ恐ろしいものであるのかをよく知らない人々だ。有力大統領候補たちの陣営の人士と会ったわたしたちは公約集に「大邱希望園障害者収容施設即刻閉鎖」と「障害者脱施設政策促進」を記すことを要求した。ところがおとといになって大邱市から希望園の障害者収容施設を来年までには閉鎖するという発表があった。一旦、利子の一部は受け取ったというわけだ。

 これまでの6年間に309名もの人々が死んでいった希望園のホームページには「生活人へ「新たな生」の目標を志向することができる多様なプログラムの上にサービスの差別性を加えて感動を創出」するために努力するという文句が記されている。言葉と現実の格差というのがまさにこのことだ。だから、候補たちの帳簿に記された言葉だけを見て浮かれてはいけない。今は冷静に自分の帳簿に何かを書き記す時だ。(訳:yuri)

※ ここで一括して「帳簿」と訳した言葉は原文では「공책(ノート)」「일수공책(日収ノート)」と記されるもので、市場などで小規模で貸付をしながら生計を立てている人が日毎につけ、持ち運ぶノート、とのことでした。現代では貸借対照表(バランスシート)に近いものですが、日毎かつ元資本も少額でその規模で大きな違いがあるのに加えこの職には一般にあまり良いイメージがないそうです。おそらくは近代に入って、日帝時代に生まれたものだろうと言うことなのですが、その起源ははっきりとは分かりません。

ロンドンの若きラテンアメリカ系フェミニストは「ジェントリフィケーションに抵抗せよ!」と叫ぶ

■ロンドンの若きラテンアメリカ系フェミニストは「ジェントリフィケーションに抵抗せよ!」と叫ぶ [2017/07/01 村上潔]

 2017年4月8日(土)午後、サンバのリズムとカラフルな衣装、情熱的なダンスがロンドンの一角を彩った。
 ロンドン北部の特別区、ハーリンゲイ区のワーズ・コーナーに位置する〈セブン・シスターズ・インドア・マーケット〉。
 その前面のスペースを使って、《Salsa & Samba Shutdown: Save Latin Village & Wards Corner》と題したイベントが開催された。
 このマーケットには、ラテンアメリカ系のショップ・カフェ・レストラン・理髪店などが入っていて、ロンドン北部におけるラテンアメリカ系ビジネスの拠点となっている(イギリス国内でも2番目の規模を誇る)。親しみ深く個性的、ちょっとカオスで刺激的なテナントの数々は、ロンドンのなかでもひときわ魅力を放っている。またそれだけでなく、ここはラテン系住人コミュニティの中心地であり、非ラテン系の人に対して文化的多様性を提供する場所であり、そして近年急速に進んでいる公有地の私有化や「都市再生(regeneration)」を逃れている場所でもある。
 しかし、この土地はけっして平穏な状況にあるわけではない。実はこのマーケットの店主たちは、ハーリンゲイ区ならびにデベロッパーの〈グレーンジャー〉社と闘っているのだ。そう、つまり、この土地を「再開発(redevelop)」しようとしている者たちと。
 区の再開発計画が始動したのが2004年。以後、このコミュニティを守る闘いはずっと続けられてきた。2007年に〈ワーズ・コーナー・コミュニティ連合〉が結成され、2008年にはヒューマン・チェーンがワーズ・コーナーを取り囲んだ。今回の4月8日のイベントでは、それの歴史的な象徴的瞬間を再現すべく、ヒューマン・チェーンが再び実施された。
 このイベントは、サルサ・サンバ・ダンスを通じてラテン文化と多様性を称揚し、また公共空間を占拠することで、このコミュニティが直面しているジェントリフィケーションの問題を広く喚起することを目的として、〈ラテン・コーナー・UK〉と〈ロンドン・ラティンクス〉が共同で主催したものである。前者は、マーケット内のラテン・ヴィレッジ(El Pueblito Paisa)に関することを広報する社会的企業。後者は、若いラテン・アメリカ系アクティヴィストからなる草の根のフェミニスト・グループである。
 このうち、特に〈ロンドン・ラティンクス〉が主体となって発信しているメッセージは、非常に意義深いものがある。彼女たちが当日イベントで読み上げたアピール文が翌日フェイスブックで公開されていたのだが、そこでは、

ラテン・ヴィレッジを守れ
ワーズ・コーナーを守れ
私たちラティンクスのセーフ・スペースを守れ
ハーリンゲイ区に残された最も大切なコミュニティ・スペースを守れ

という要求に並んで、以下の4点が明確に謳われていた。

  • ジェントリフィケーションは人種差別である。
  • ジェントリフィケーションは家父長制的である。
  • ジェントリフィケーションは階級差別である。
  • ジェントリフィケーションは反コミュニティ的である。

 各ポイントの論旨は省略しているので、[http://www.arsvi.com/2010/20170621mk.htm]で確認してほしい。また、アピールの最後の部分がメンバー2名によって(英語とスペイン語で)読み上げられている映像を[https://twitter.com/londonlatinxs/status/851014277037260800]で視聴することができる。
 ここで注目すべきなのは、彼女たちが、目の前にある問題の本質でありかつ自分たちが対峙する「敵」であるのは「ジェントリフィケーション」だということを、これ以上ないほど明確に認識し、指摘している点である。ジェントリフィケーションが有する抜き差しならない「政治性」を、まさにフェミニストとしての視点から、鋭く抉り出していることである。
 フェミニストとして、というのは以下の3点に象徴されている。
① 要求のなかにある(そしてグループ名でもある)「ラティンクス(Latinx)」という言葉は「ラティーノ/ラティーナ」に替わるジェンダー・ニュートラルな用語であり、トランス・クィア・ノンバイナリーの人々を含む。
② 「セーフ・スペース」はLGBTQIAならびにフェミニストの活動においては(「セーファー・スペース」を用いる主体も多いが)必須の設定項目であり、ゆえにこの必要性を掲げていることは、その活動主体が性的多様性ならびにそれを重視する姿勢を有していること一定象徴している。
③ ジェントリフィケーションにはジェンダーの問題(家父長制)が内包されていることを、人種・階級といった側面と並列するかたちで(それらと同等の重要性をもつものとして)指摘している。
 こうした点をふまえて、次のことを指摘したい。
 〈ロンドン・ラティンクス〉の存在は、フェミニストとしての視点・立場から、反ジェントリフィケーションの運動の枠・射程を拡張し、より大きな問題化(問題の政治化)を可能にし、そして目指すべきコミュニティの姿をより公正なものにするうえで、非常に大きな意義を有している。反ジェントリフィケーション運動が、真に力強い、現実的な多様性を担保した、自律的な空間管理主体として確立するためには、このような存在を内/外から醸成・召喚し前面化する、そのうえで連携・協働していく必要があるのではないか。
 今回のコラムでは以上のことを指摘するのにとどめるが、今後もこれに関連する事例を定期的に紹介・検討していく予定である。
 最後に、彼女らが読み上げたアピール文の締め括りの言葉を挙げておこう。
 「ジェントリフィケーションに抵抗せよ!」


■Reference
◇The London Latinxs “Resist Gentrification!” (April 9, 2017) =村上潔訳「[アピール]ジェントリフィケーションに抵抗せよ!」(2017/06/21)http://www.arsvi.com/2010/20170621mk.htm
◇The London Latinxs “[Event] Salsa&Samba Shutdown PART II” (June 19, 2017) =村上潔訳「[イベント]サルサ&サンバ・シャットダウン パート2」(2017/06/22)http://www.arsvi.com/2010/20170621mk.htm
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◇The London Latinxs https://www.facebook.com/thelondonlatinxs/
◇Latin Corner UK http://www.latincorner.org.uk/
◇Wards Corner Community Coalition http://wardscorner.wikispaces.com/
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◇Dan Hancox 2016/10/21 ”London’s Latin Americans Are Bearing the Brunt of Gentrification” (VICE) https://www.vice.com/en_uk/article/londons-latin-americans-are-on-the-front-line-of-gentrification
◇Lizzie Edmonds 2016/12/19 ”Traders fight plan to demolish and redevelop Latino market in Tottenham” (London Evening Standard) http://www.standard.co.uk/news/london/traders-fight-plan-to-demolish-and-redevelop-latino-market-in-tottenham-a3423616.html
◇Harry Rosehill 2017/02/23 ”Seven Sisters’ South American Market” (Londonist) http://londonist.com/london/features/seven-sisters-south-american-market
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◇Tanisha Love Ramirez & Zeba Blay 2016/05/07 ”Why People Are Using The Term ‘Latinx’: Do you identify as “Latinx”?”(HuffPost)http://www.huffingtonpost.com/entry/why-people-are-using-the-term-latinx_us_57753328e4b0cc0fa136a159

【追記(2017/07/14):Reference】
◇Usayd Younis & Cassie Quarless “London Latinxs: Building Affinity Groups, Fighting Oppression”, STRIKE! Issue 15 (MAR-APR 2016): 29 =村上潔訳「ロンドン・ラティンクス――アフィニティ・グループを作り、抑圧と闘う」(2017/07/11)http://www.arsvi.com/2010/20170711mk.htm