トリノの路上から(3)フードデリバリー労働者ライダース闘争日記

2020/01/02 しろー

 Zohaibがひき逃げにあったのは12月19日の木曜夜。雨が降りしきる中だった。
 どこかから急報が入り、200人以上の同僚が登録されてるチャットグループで情報を聞き、すぐに病院に行くことにした。夜11時、サン・ジョヴァンニ・ボスコ病院には彼のルームメイトや同僚のパキスタン人たちがすでにかけつけていて、先に来ていた学生ライダーが医者の話を通訳していた。状況は酷く、開頭手術が必要だとのことだった。ついに恐れていたことが現実になった。ミラノやボローニャ、バリですでにライダーやピザ配達人が仕事中死亡する事故があり、バルセロナでは友達のアカウントを使っていたネパール人が亡くなった。バルセロナの事故は世界的な連帯を呼び「#Glovomata」(Glovo殺人。Glovoはスペインのデリバリー多国籍企業)というタグが世界中に溢れた。何百人ものライダーが路上にあふれるトリノでいつか重大な事故が起こると誰もがおもっていた。
 Uberなど白タクシー労働、自転車・バイクなどでのデリバリー労働は〈ギグ・エコノミー〉などと呼ばれ経済メディアなどではもてはやされているが、実態は無保険、労働契約なしの違法あるいは脱法労働で、〈ギグ搾取〉とでも呼んだほうが正確だろう。ほぼ完全歩合制、労働者を「パートナー」と呼び自営業者とみなすことで、仕事に関わるガソリン代・自転車などの雑費、保険やその他をほとんど払わないのだから、これほど資本側にうまみのある話はない。今は我々外国人や学生がこの契約で働いているが、これが社会的に合法だとされれば、すべての業種で同じ契約がなされるだろう。会社側の言う「好きなときに働き、好きなときに休む」「勉強や本業の空いた時間を有効活用」などの美辞麗句と裏腹に、Zohaibはじめ外国人労働者の多くは一日10時間以上、雨の日も雪の日も、ラマダーン中も働き家族に金を送金していた。彼だけでなく、大事には至らなかったが今まで何人ものライダーが病院送りになっている。労災はあっても一日15ユーロまでとごく少額だ。それすらも取得できたものは少ない。
 午前四時、手術は終わったがドクターの表情は暗かった。「状態は悪い。昏睡状態が続いているが月曜までなんとも言えない。すぐに家族に連絡しなさい」とのことだ。家族! 彼の家族はカシミールにいて、彼からの送金がなければ暮らしていくのも危ういのだ。パキスタン人の同僚や彼のルームメイトたちが話し合っている。家族に知らせるのは明日にしよう……誰がこのつらい事実を伝える役目をするのか……。
 翌日、Glovoのトリノ事務所は突如休業になった。明らかに事故を受けて(新聞にも大きく書かれた)我々が押しかけるのを恐れてのことだろう。トリノで開業して二年間、こういう対応には慣れっこになっているが、さすがにこれは労働者を怒らせた。「デモをしよう」とパキスタンの同僚たちとも話し合い、土曜の夕方カステッロ広場にあつまることに決めた。ストの呼びかけもするが、あまりに同僚が多く、流動的で、毎回crumiro(スト破り)が多数いるので、営業を完全にブロックできるのぞみは少ない。
 土曜日、デモ前に病院へ見舞いに行くと、Glovoのミラノ本社から責任者が二人来ていた。彼らを見た瞬間に頭に血がのぼるのを感じた。「よくここにこれたな。いままで事故があっても電話一つよこさず、一日15ユーロぽっちの労災も出し渋って、で今回は労働者が死にかけているから来たのか。お前のために働いていた労働者が昏睡状態にあるんだ。どんな気持ちだ。どうするつもりなんだ」。みるからに弱気そうな中年の責任者は、後で連絡するから帰らせてくれと逃げをうつばかりで埒が明かない。話にならないから、今ここで上級の責任者に電話をかけろと要求するもそれも拒否する。どこまでも腐った連中だ。OK、だったらこっちからいくからミラノの非公開のイタリア本社の場所を教えろというもそれも言わない。病院の玄関前で激しいやり取りをしているので人が集まってくる。知らないおばさんが「この子たちの言っていることが正しいわよ」と加勢してくれる。だが結局は警察を呼ばれ、責任者たちは護衛されて病院から去っていった。
 デモは、応援に来てくれた活動家含め70人ぐらいの規模になった。英語、イタリア語、ウルドゥー語でアピールがあり、この仕事の条件がどんなに酷いものか、なぜ頻繁に事故を引き起こすのかなどを市民に向け話した。デモ隊は事故が起こった市中心部の現場へ向かう。事故現場のフライドチキン屋の前では仕事に使うバッグが燃やされた。これも仕事につく前に60ユーロで買わされたものだ。Glovoは仕事に使うヘルメットの一つもよこさない。通行人の反応も同情的だ。しかしこのようなデモにたいしても「だったら仕事をやめろ」とか「交通事故は誰にも起こるじゃないか」とか野次を飛ばしてくるバカがいて残念な気持ちになった。それは他人に共感が持てない、持つことができない彼らの人生に対して残念な気持ちなのだ。行動が無事終わり、来週土曜に連帯デモをすること、月曜にトリノの営業所に行くことを確認して長い一日が終わった。
 日曜日。イギリスからZohaibの親戚家族が訪れた。彼の同居人Kは、70人ものZohaibの親戚がみなKに昼夜を問わず状況を確認してきて大変だとこぼしていた。昨日も自然とマイクアピールをしていたKはリーダーシップと責任感に秀でたタイプで、実際Zohaibとは最近知り合いになったばかりだというのに、その性格が災いしてすべての手続きが彼任せになってしまっている。憔悴している彼をきづかい「その仕事は誰にもできることではなく、神に与えられたものだと考えたほうがいい」と助言して、思わず自分が「神」という言葉を口にしたことにはっとする。まだ幼い子供二人をつれた叔父さんと叔母さんのショックは大きく、集中治療室の待合室には沈黙が流れる。子供たちを含め叔母さん以外全員男性のなか、遅れて同僚ライダーのイタリア人女性とチリ人の女性が見舞いに現れ、その二人がそれまでただ押し黙っていた叔母さんを慰めに近寄った時、初めてその叔母さんが涙を流し嗚咽し始めた。チリ人のMはまったく英語が話せないが、彼女の手をとりなにか語りかけている。甥のZohaibを指し「息子が可哀想だ」と何度も英語でつぶやくのが聞こえた。Kは叔父さんだけを連れ出し、「男同士」で話をしにいった。彼らの社会でも、日本と同じように女性は決定から排除されているのだろう。Zohaibの状況は相変わらずで、薬による麻酔はとけ、自然な形での昏睡状態になっていると説明があった。
 月曜日、少数の友人だけに連絡してほぼ郊外にあるトリノのGlovo営業所へ行く。しかし事務所はもぬけの殻で、外には面接の予定があるライダーたちがたむろしていた。責任者はまた逃亡した。パキスタン人同僚の怒りは収まらず中心部までデモしようと言い出す。少人数だがみなで車線を塞ぎながら中心まで歩く。「Glovoの人殺し」「奴隷企業」「2ユーロでピザを配達するために死ぬな」などスローガンを叫びながら。明日はクリスマスで、イタリアは年明けまでクリスマス休暇だ、週末のデモに人が来るのか不安になる。ポジティブなニュースは事件を受けパキスタン領事館が動き、家族のための一時滞在ビザと弁護士を用意すると約束したこと。ピエモンテのパキスタン人会が連帯デモのバックアップを引き受けてくれたことだ。それからひき逃げした犯人が捕まった。48歳無免許運転、免許は以前に取り消されていた。
 パキスタン人同僚たちはお金を集めてZohaibの母親に送金することにしたそうだ。息子からの送金が途絶えた家族を助けるためだ。友人のイタリア人が、150ユーロ分のフードチケットを彼らにとカンパしてくれた。こういった市民的な連帯があったことは書き留めておくべきだ。土曜のデモに向けてビラ貼りやネット上の宣伝をする中で、夏前ぐらいからストやイベントにたまに顔を出すようになった同僚が活躍した。彼は「高い建物の頂点にのぼる」のが好きで、トリノや近郊都市の100メートルを超す高層建築物の頂上になんとかしてのぼり詰め、そこから撮った写真やヴィデオを匿名でyoutubeにアップしたりしている謎の若者だ。Glovoで働く彼がライダースの活動に興味を持ち参加し始めたことで、我々は「高さ」という新たな武器を手に入れた。具体的には街なかに貼っても翌日すぐ取られる横断幕が、彼のクライミング技術によっておいそれとは取れない高さに掲げることが可能になったのだ。トリノのライダース闘争はこういったわけのわからないことがたまにおきるから面白い。街なかのいくつかの場所に「Stand for Zohaib」の横断幕が掲げられた。土曜に向けたビラも各国語翻訳版が出来上がった。Zohaibの状態は少しましになっていて、生命の危機は脱したが、いまだに昏睡状態にある。
 土曜日、某所でデモの準備をし数人でカステッロ広場へ向かう。配達用バッグにはネットで買ったブブゼラを何本か忍ばせておいた。現場につくと、すでにパキスタン人会の人々や応援する市民、複数のメディアがあつまっている。FGCというコミュニストグループが勝手に作ったビラを撒きたいというので拒否する。デモ前に会ったことも見たこともない連中だ。ビラにはご丁寧にZohaibの名前まで載せてある。この2年間みてきたが、ライダースの運動を自らの政治活動に利用しようとするタダ乗り政治屋のなんと多いことか。CGIL(イタリア労働総同盟)などの大手労組がその筆頭だ。そもそも政権を担う5つ星運動が、「ライダーの労働条件にたいして動く必要がある」と二年間いいつづけて結局何もしなかった。それが彼らの仕事なのだ。これまで行政も、組合も、裁判所も、誰も我々の状況に手を差し伸べなかった。この日はRAI(イタリア放送協会)や『ラ・スタンパ』をはじめとする大手メディアも多数きていた。普段ライダーストリノは、メディアは信用しないので基本対応しないというスタンスだが、この原則もしばしば曲げられる。とくに今日は多数の有象無象がいて、運動屋に乗っ取られないためにも何人かがまとめてインタビューを受けた(ちなみにそのかんにもよくわからない政治屋が勝手にインタビューを受けて後にそれが大々的に放映された)。クリスマス休暇でごった返す街なかをデモが出発する。殆どが外国人で、仲間への連帯もあって熱量もすごい。応援にきている活動家やスクウォッターたちも驚いているようだ。いつもは多くても2・3回登場するだけの発煙筒が、今日はどこかからひっきりなしに出てきて、あとからあとから焚かれるのでクリスマス・正月ムードの街が煙だらけになった。ある狭い路地に差し掛かった時、一斉にブブゼラやホイッスルが鳴り響き、だれもかれもが同時に叫ぶ瞬間があった。バルコニーから応援の飴やお菓子がデモの中に投げ込まれた。街をうろつく以外やることのないヤンキーが面白がってついてくる。ライダーの参加者は決して多くなく、ストライキとしては機能していないかもしれない、それでもこれが「デモ」だと思える一瞬が何回かあった。
 Zohaibはまだ昏睡状態だがときおり瞳を開いたり手を動かしたりするようになった。明日も病院に行き、そして彼の弁護士と今後のことを協議しなければならない。Glovoは病院を通じKと話す用意があると言ってきたそうだ。Kから、僕ともう一人のライダーに交渉の席に一緒に来るように頼まれた。今年の冬はこちらも記録的な暖冬だったが、最近夜は氷点下近くまで冷え込むようになった。気づけばもうすぐ日本を離れて5回目の正月を迎える。