ジェントリフィケーション入門(1)地代格差論

2017/08/15 原口 剛

 ジェントリフィケーションは、都心からほど近くの「インナーシティ」と呼ばれる場所に襲いかかります。そこは、昔から安い住居や宿が密集していて、貧しい都市住民がかろうじて住むことのできる場所でした。なぜそのような場所に、ジェントリフィケーションが襲いかかるのでしょうか。資本にとってのメリットは、どこにあるのでしょうか。そのことを理解するためには、ジェントリフィケーションの基本的な理論を知ることが必要です。

 ジェントリフィケーションの理論には、おおきくいってふたつの系があります。ひとつは、「どのような人々が、なぜインナーシティに移り住んでくるのか」に着目するもの。これは「消費サイドの説明」と呼ばれる系です。もうひとつは、「どのような論理がジェントリフィケーションの過程を作動させているのか」を探究するもの。これは、「生産サイドの説明」と呼ばれる系になります。どちらの系の理論も、ジェントリフィケーションを分析するための道具として欠かせません。けれども、「そもそもジェントリフィケーションとは何なのか」を理解するためには、とくに後者の「生産サイドの説明」が重要です。なかでももっとも重要な理論が、「地代格差」と呼ばれる理論なのです。

 まずは、「ジェントリフィケーション」という概念や「地代格差論」という理論が生み出された背景を確認しておきましょう。「ジェントリフィケーション」という用語が生み出されたのは、1964年のことでした。ルース・グラスというイギリスの社会学者が、『ロンドン』という著作のなかでこの言葉を生みだしたのがはじまりです。この著作のなかでグラスは、ロンドンのインナーシティで、これまでにない変化が起きていることを発見しました。上で述べたように、「インナーシティ」とは、都心ちかくに位置する場所です。そこには安価な住居や安宿が密集していて、だからこそ貧しい都市住民の住まいとなってきました。ロンドンだけではありません。どの都市であっても、インナーシティはかならず存在しています。ところがその場所に、新たな居住者、しかも裕福なミドルクラスが次々と住み始めていることに、グラスは気づいたのです。この新しい階級変容の現象に、グラスは「ジェントリフィケーション」という名前を与えたのでした(グラスが「ジェントリ」という言葉を用いたのには、歴史的に深い理由があるのですが、そのことは別の回にあらためて解説したいと思います)。

 1964年にルース・グラスが「ジェントリフィケーション」という言葉を生みだしてから、この新しい現象はすぐさま注目されるようになりました。というのも、この現象はロンドンだけでなく、世界各地のさまざまな都市で起こっていたからです。このような状況のなかで、さまざまな研究者が、「いったい何が起こっているのか」を解明しようと奮闘してきました。上で述べたふたつの系の理論は、そのなかで練られていったものです。そうして1979年、地理学者のニール・スミスが決定的な論文を公表します。その論文こそが、地代格差論(rent gap theory)だったのです。この地代格差論は、いまなおジェントリフィケーションを考えるための、もっとも重要な理論でありつづけています。それは、いったいどのような理論なのでしょうか。とても図式的になってしまいますが、その内容をおおまかに説明してみましょう。なお、1979年にニール・スミスが提起した「地代格差論」は、アップデートされて『ジェントリフィケーションと報復都市』の第3章に所収されています。もっと詳しく知りたいと思った方は、ぜひ手に取って読んでみてください。

 ジェントリフィケーションや地代格差論を理解するためには、そもそもなぜインナーシティが生み出されたのか、というところから考えなくてはなりません。ここで、図Aをみてください。これは、アメリカのシカゴを例にした図です。タテ軸は「地価」を、ヨコ軸は「都心からの距離」を示しています。つまりこの図は、都心からさまざまな距離をもつ、それぞれの場所の地価が、歴史的にどのように変化してきたのかを示したものです。まずは1873年と1892年を比較してみてください。都心の地価がぐんぐん上昇していって、それに引っ張られるようにまわりの地価も上昇していることがわかります。この頃のシカゴは、急激に都市が工業化していました。都心に企業や工業が集積することで、都心の価値が急上昇していたわけです。さて次に、1892年と1928年を比較してみましょう。すると、地価を示した波のかたちが大きく変化していることに、すぐ気づくと思います。都心はあいかわらず地価が急上昇していますが、都心から離れた外側の場所でも同じく地価が急上昇しています。だから地価の波のかたちは、それまでの山のようなかたちと違って、ふたこぶのかたちをしています。じつはこのとき、新しい都市形成の過程が始まっています。つまり、郊外化という過程です。急激に都市化した当時のシカゴでは、資本主義の矛盾が爆発し、街は工場のばい煙で覆い尽くされていました。なにより、新たに流れ入った労働者たちが階級闘争を繰り広げる舞台となっていました。怒りと闘争心に満ちた労働者たちの群れに直面した富裕層は、それまでのように都心に住まうことを嫌い、心安らぐ地を求めました。そうして、郊外にじぶんたちの住宅地を求めるようになったのです(だからアメリカでは、郊外化は「ホワイト・フライト(白人の逃避)」とも呼ばれます)。それとともに、郊外には莫大な開発資本がこぞって投下されていきます。山を崩し、森を拓き、富裕層に向けた住宅地である「ブルジョワ・ユートピア」が開発されていったのです。

20170815ht-A図A:『ジェントリフィケーションと報復都市』103頁より

 さて、もういちど図Aに目を戻してください。都心からほど近い場所では、真逆のことが起っていることが分かります。都心と郊外の地価がどんどん上昇していくのに反して、この場所では地価が下落していくのです。この「地価の谷間」の場所が、インナーシティの地にあたります。この地では、いったいなにが起こっていたのでしょうか。どの時代でも不動産開発資本は、利潤のあがる場所を探し求めようとします。この時代は郊外こそが、高い利潤を約束する場所でした。なにしろ、それまで山や森や野原として放置されていた場所が一気に価値ある場所になったわけですから、資本はいっせいに群がります。かたやインナーシティは、より多くの利潤を追い求める不動産開発資本にとって、うまみのある場所ではなくなっています。だから、郊外につぎつぎと資本が投下され開発されていくその裏側で、インナーシティの建物や住宅からは資本が引き揚げられていきました。いわば資本から見放され、放置されたのです。修繕もろくに行なわれず、建物は老朽化する一方。見放されていますから、家賃は安い。そうして、貧しい労働者階級やマイノリティがかろうじて住むことのできる場所になったのです。こうしてみると、郊外の開発とインナーシティの形成とは、表裏一体の過程だったことがわかります(このことは、「不均等発展」という重大なテーマにかかわるのですが、それについては回をあらためたいと思います)。

 ここまで長々と都市形成の過程について述べてきました。もしかしたら遠回りに感じたかもしれません。けれどもジェントリフィケーションを考えるためには、たんに現在をみるだけでなく、それ以前の時代になにが起こってきたのかを考えることが欠かせません。都心/インナーシティ/郊外というように、時代の変遷のなかで都市が階級的に分割され、分離されてきた事実があるからこそ、ジェントリフィケーションは引き起こされるものなのです。いま、都市を見渡してみてみましょう。郊外はもう、あらかた開発しつくされてしまっています。ここまでくると、これ以上開発してもたいした利潤はあがらないし、不動産開発資本にとってたいした魅力はありません。では、インナーシティはどうでしょうか。ここで、図Bをみてください。これは先ほどの図Aとは違って、インナーシティの場所だけを切り取り、取り上げた図です。タテ軸には「金額」が、ヨコ軸には「(建設時から経過した)時間」が描かれています。そして、四つの要素(「価格」「住宅の価値」「資本還元された地代」「潜勢的地代」)の変化が描かれています。ちなみに「価格」というのは、「住宅の価値」と「資本還元された地代」を足しあわせたものです。多くの人は月々家賃を支払っていると思いますが(家賃も地代と同じく「レント(rent)」です)、この家賃には、家屋への支払いと土地への支払いが、どちらも含まれているのです。図Bからみてわかるとおり、新たに建てられた住宅の価格は、時を経るとともに下落していきます。

20170815ht-B
図B:『ジェントリフィケーションと報復都市』111頁より

 しかしジェントリフィケーションにとってなにより根本的なのは、じつは、「資本還元された地代」と「潜勢的地代」との関係なのです。「資本還元された地代」とはややこしい表現ですが、要するに現状の地代のことです。これに対して「潜勢的地代」とは、もしその土地をいまとは違う、別のかたちで利用したらならひょっとして得られるかもしれない、可能的な地代を指します。ここで思い起こしてほしいのですが、インナーシティでは住宅や建物が資本に見放され、放置されるという状態がつづいてきました。家賃や地代が安いからこそ、そこは貧しい労働者階級やマイノリティが住み続けることができたのです。このような状況が長らくつづくなかで「資本還元された地代」は、時間がたつとともに低下していきます。しかし、それとは反比例するように、「潜勢的地代」はどんどん高くなっていきます。要するにインナーシティでは、地代の側面からみれば、長きにわたり資本が引き揚げられてきたがために、「資本還元された地代」が「潜勢的地代」からかけ離れていくという事態が起きたのです。このふたつの地代のあいだの格差(ギャップ)が、地代格差と呼ばれるものです。

 この地代格差こそ、ジェントリフィケーションを駆動させる根本の原理です。地代格差が一定の大きさにまで広がったとき、そこにジェントリフィケーションの可能性が生まれます。上で述べたように、郊外は開発しつくされてしまって、もう利潤のうまみは消え失せてしまいました。そこで目ざとい不動産開発資本は、インナーシティに目を向け始めます。なにしろ、地代のありよう(資本還元された地代)は、他の場所に比べて極端に低い。しかも、別様に開発したら得られるだろう地代のポテンシャル(潜勢的地代)は、十分すぎるほど高いのですから。もしその場所をうまく開発せしめたならば――とおい昔に郊外がそうであったように――莫大な利潤をあげることができます。かくしてインナーシティは、ジェントリフィケーションの標的とされるのです。「都市再生」や「地域再生」を掲げたプログラムには、「好立地なのに地価が安い」とか、「開発により大きな価値を生む可能性がある」とか、そのような言葉が並べられることがよくあります。それらの言葉が指し示しているのは、まさに「地代格差」であり、ジェントリフィケーションなのです。

 このように捉えると、ジェントリフィケーションとはけっして「自然な過程」ではないことがわかります。それは、深く資本主義の力学に根差した過程なのです。郊外化の時代にあって資本主義は、「地代の谷間」であるインナーシティを生みだし、貧しい労働者階級やマイノリティを封じ込めました。ひるがえって現代では、みずからが生み出した「地代の谷間」へと開発の矛先を向け、そこから利潤を生み出そうとするのです。貧しい労働者階級やマイノリティは、かつて資本主義によってインナーシティへと封じ込められて、こんどはそのインナーシティから追い払われようとしています。この点からしても、ジェントリフィケーションが「階級」への問いから切り離せないことは、あきらかでしょう。

 さて、ここでは「地代格差論とはなにか」をおおまかに解説してみました。簡略化した解説ではありますが、要点は理解してもらえたのではないかと思います。ただし、ここで紹介したのは、あくまで地代格差論の図式的な説明にすぎません。これだけみるとジェントリフィケーションは、あたかも自動的に進んでいく経済的な過程であるように思われるかもしれません。けれどもじっさいには、ジェントリフィケーションとは、政治的な過程でもあります。そこには、立ち退きのような暴力や、労働者やマイノリティの闘争といった、さまざまな要素が深くかかわっています。それらのテーマについては、こんご回を重ねるなかで書いていきたいと思います。