ジェントリフィケーションは差別を拡大再生産する

2017/11/20 原口 剛

 再生や再活用、ルネッサンスといった言葉は、影響を受けるであろう地域が、ジェントリフィケーションに先だってなんらかのかたちで力を奪われていたか、文化的な死に瀕していたことをうかがわせる。……けれども、往々にして見受けられるのは、ニュー・ミドルクラスがダイニングルームやベッドルームをひいきにしてストリートを蔑むかたわらで、きわめて活力ある労働者階級がジェントリフィケーションによって文化的に活力を奪われるという事実である。合衆国西部の「開拓者」というもともとの観念がそうであるように、現在都市に付与された「都市の開拓者」という観念は侮蔑的なものだ。いまもむかしもそれは、開拓されようとしている地域には誰も――少なくとも価値ある人々は誰も――住んではいない、ということを意味している。(ニール・スミス『ジェントリフィケーションと報復都市』ミネルヴァ書房、2016、57頁)

 TOKYO MX NEWS(2017年9月22日配信)によれば、「東京は5年連続で地価が上昇」し、「これまで上昇率の上位に入っていなかった荒川区南千住が一気に上昇率1位に上り詰め」たのだという(http://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=46512190)。南千住とは、大阪の釜ヶ崎や横浜の寿町とならぶ「三大ドヤ街」のひとつ、山谷がある地域だ。ずいぶん前から山谷の労働者福祉会館には、「山谷は労働者の街 労働者を排除する再開発反対!」というメッセージが掲げられていた。つまり山谷の労働者や活動家は、ジェントリフィケーションの波が押し寄せつつあること、自分たちの土地が脅かされつつあることを、肌身で感じとっていた。その予兆は、現実のものとなってしまったのだ。

 記事は、交通の利便性や商業施設の充実といった南千住の「人気の秘密」を挙げ、さらには次のような言葉を書き連ねる。「昔は怖くて来られなかった。うろうろしている人がいなくなったし、街がきれいになったから(うろうろする人は)余計にいなくなった」。ここで「うろうろしている人」と名指されているのは、この街で暮らしてきた日雇い労働者であり、失業した野宿生活者である。ジェントリフィケーションの過程にはらまれる暴力は、明らかだ。ここでは、過去のものになったはずの「浮浪者」という言葉が、よみがえっている。

 「ホームレス」という呼び名が一般的なものになったのは、1990年代以降のことだ。長らくかれらは、「浮浪者」と呼ばれてきた。戦前には「浮浪罪」という刑法の罪名があったことが示すように、その名ざしには流浪する下層労働者に対する敵対と差別が刻み込まれている。1980年代、横浜で少年たちによる野宿生活者の襲撃・殺傷事件――いわゆる「浮浪者襲撃殺傷事件」――が起きたことを受けて、この言葉に対する差別を告発する運動が取り組まれた。「野宿労働者」や「野宿生活者」といった言葉が提起され、やがて1990年代には「ホームレス」という言葉が定着していった。運動の力によって、「浮浪者」から「ホームレス」へと言葉は変えられたのである。しかし、野宿生活者に対する襲撃は現在まで起こりつづけている(http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/attackchronicle.htm)。各地で取り組まれている「よまわり」やパトロールは、この凄惨な暴力を二度と起こさせまいとする取り組みだ。

 上記の記事は、運動が勝ち取ったかろうじての成果や、いまだ取り組まれている地道な活動のすべてを踏みつぶし、ないがしろにする。同じようなことは、ほかの場所でも起こっている。もうひとつのドヤ街、大阪の釜ヶ崎ではどうだろうか。この地において「西成特区構想」を主導した鈴木亘は、その著書のなかで、「ホームレス」とは「外部不経済」をもたらす存在――つまり工場の廃液と同じような存在――だと断じる。

 第1に、公園や道路などの公共空間を占拠することにより、第三者が使用できなくなる。第2に、結核などの感染症が蔓延し第三者に拡がる。第3に、周辺環境が悪化し地価や賃貸料が下がる。第4に、路上生活の長期化にともなって健康悪化が進むと、最終的に重篤疾患となり生活保護から高額の医療費が支払われる。第5に、ホームレスをみると通行人が気の毒に思って不幸な気分になる(これも立派な外部不経済である)。(『経済学者 日本の最貧困地域に挑む』東洋経済新報社、2016、11頁)

 この著者はしきりに「草の根」や「民主主義」を強調し、どうやら自身の立場がリベラルであると自認している。しかし他方で彼は、過去に活字化されてきた言葉のなかでももっとも露骨な差別を、なんのためらいもなく表明するのだ。注意してほしいのは、労働者を「うろうろしている人」と名ざし、あるいは「外部不経済」と名ざす行為が、ともに地価や賃貸料とセットで語られていることだ。つまりこれらは、ジェントリフィケーションという過程の最中で発せられている。とするならジェントリフィケーションとは、ニュートラルな経済的過程ではないし、都市経済の「自然な成り行き」でもない。あきらかにそれは、階級暴力を本質とする政治・経済的過程なのである。じじつジェントリフィケーションは、「浮浪者」という表現を呼び覚ましながら、野宿生活者に対する差別を拡大再生産させている。

 最後にもうひとつ、次のことを強調しておきたい。このような状況がもたらす影響は、決して山谷や釜ヶ崎だけにとどまるものではない。私たちがもしこのような言葉が流通することを許してしまったなら――しかも日雇い労働者や野宿生活者にとって反排除闘争の長年の拠点である山谷や釜ヶ崎でそれを許してしまったなら――、野宿生活者に対する差別は、都市全体へとおよぶだろう。差別の拡大と蔓延は、都市のいたるところで暴力をまき散らしていくことだろう。このような事態を、黙って見過ごすわけにはいかない。だから私たちは、反ジェントリフィケーションを唱えるのだ。