なぜアートはカラフルでなければいけないのか――西成特区構想とアートプロジェクト批判

中村 葉子(映像文化研究/中崎町ドキュメンタリースペース所属)

「灰色の街」に彩りを
 大阪南部の天王寺、新世界界隈は梅田の再開発に象徴される商業施設・高級マンションの乱立に追随して観光化、都市開発が歯止めなく行われている。十年前に比べると街並みは大きく変容を遂げ、残すはその周辺地域、特に行政や民間が開発に着手するのが難しい、釜ヶ崎(あいりん地域)に対してである。この小論ではこの地域に昨今流入してきている「アート」についてそれが都市再開発の流れの中でどのような役割を果たすのかを検討するものである。特に西成特区構想都におけるアートプロジェクトについて取り上げる。ここでいう「アートプロジェクト」は行政の公的支援ののもとで行われるものであり、特に一九九〇年代以降、過疎地や離島、貧困地域における地域活性化のための観光誘致、社会的マイノリティのエンパワメントの名の下で実施されてきた。そのようなアートプロジェクトが釜ヶ崎に移植され始めたとき、どのような問題が孕まれているのか。以下では、大きくわけて次の2点に絞って言及していきたい。

  1. アートが否定する都市の風景。
  2. アートプロジェクトは行政の都市再開発と連携することで「貧乏人」は追い出され「普通の町」へと作り変えていく。

 まず、1点目について、最近釜ヶ崎のメイン通りに現れたアートの事例から考えてみよう。これは去年からスタートした民間主導の「釜ヶ崎グラフィティアート」である。このプロジェクトはその名も「灰色の街に色彩の力を!」をスローガンに日本国内外のグラフィティアーティストが空き店舗のシャッターや老朽化した家の壁にグラフィティを描くものである。ある店主はこの絵のおかげで店先には立小便がなくなり、「迷惑行為の抑止効果」になっていると語る。そして老朽化した空家や荒廃していく街並みを再生させる、元気な街づくりにアートが貢献するそうだ。彼らの目には、釜ヶ崎は「灰色の街」、つまり高齢者が多くそこには活力がないものとして映っており、グラフィティという鮮やかな色を持ち込めば観光客が増えて街は活性化されると考えている。しかし、このような視点には、それまでに堆積してきた釜ヶ崎の都市の風景が全く無視されているのだ。いまも街を歩けば今も南海電車高架下に露店があり、古着、テレビ、道具類、海賊版DVD、賞味期限ぎれの菓子パン、真っ赤な服を着た朝鮮人の輸入タバコ屋がある。そして、一見ゴミであるが、リサイクルされてわずかな稼ぎになる、コタツ、箪笥、食器、タイヤ、導線、布団、ネジなどあらゆる物であふれている。それら無秩序な色彩とでもいえるものは、取り締まりの対象になる色だ。そしてさらに目を凝らして街を見れば、奥深くに様々な色が隠れている。夏祭りの慰霊祭は月明かりに照らされた鎮魂の青、暴動の火柱は奇声、歓声とともに真っ赤に燃えたぎるとともに、白と黒の陰影を鮮烈なものにしていった。
 つまり、ここにあるのは「色彩」対「灰色」の対立ではなく、一方の色彩の体制のみが称揚されるということなのだ。言い換えれば都市的なるものの色彩がショッピングモールやコンビニなどの等質空間が称揚する漂白された色彩によって淘汰されるということだ。そして、こうしたアートが帯びる色彩感覚は単にアートの文脈でのみ捉えられるべきものではない。それは民間、警察、行政、NPO、大学、住民が一体となって都市再開発のためのイメージの戦略として大きく展開されているものである。
 続けて、他のアートプロジェクトについてもいくつか挙げてみよう。二〇〇三年から大阪市の文化振興事業として始まった「Breaker Project」がある。市の文化事業として初期段階から取り組まれてきたもので、毎年テーマを変えながら長期的に行われている。その二〇〇八年のプロジェクトのテーマは「絶滅危惧・風景」である。プロジェクトのメンバーである雨森信によると、この年はアート作品を通じて失われつつある昔ながらの街の風景を再考するものであるという。そう語る反面、「絶滅危惧」という言葉を聞くと珍獣を見る奇異なまなざしを連想させる。まるで見世物を展示するような響きさえ持つ。実際、登場したアート作品は空き地に巨大なオモチャの恐竜が登場した。しかしこの場所は、当時住人や野宿する人々を締め出す柵で覆われた空き地であったし、今も開閉時間が厳しく管理された公園なのである。それは突如表れたオブジェであり、この地域でアートを展示する意味や場所性と関係なくとってつけられたような印象を持つものであった(Ⅰ)。
 このようにアートが街の風景に介入してくるとき、あまりに無批判すぎると思ったのは、次に見る「おおさかカンバス推進事業」で登場した「カンシカメラメカシ」である。文字通り監視カメラを玩具や造花などで可愛らしく「粧かす」のだ(Ⅱ)。こうしたアートは、人々を四六時中監視する状況への批判ではなく現状肯定の範疇を抜け出ないものである。当のアーティストによればカメラを目立つ形にして問題を可視化するという。けれどもこの作品にはカメラの抑圧性、不気味さなど一切無く、ただカメラと戯れているだけである。要するにここにはアートがもつ社会に対する批評性が欠落していると同時に、公的支援を受けることで、表現行為が限定的で、且つ無害なものになっているということである。そして今後ますますアートは無害化され、地域活性の為の道具に成り下がっていこうとしている。その極みとして「西成アート回廊プロジェクト」がある。これは、西成特区構想有識者の松村嘉久(阪南大学国際観光学部教員)と地元出身のラッパー「SINGO☆西成」によって進められているもので、釜ヶ崎を南北に走る南海電車高架下にグラフィティを描き、それをカメラで常時見張りながら観光客が周遊できる回廊を作るというものだ。「SHINGO☆西成」といえば釜ヶ崎出身で、かつてホルモン屋の前の壁に「今に見とけよ」と落書き(グラフィティ)をした人でもある。そこには貧困・差別といった現状に対する鬱屈した感情が少なからずこめられていると感じたものだが、いまやグラフィティアートは照明とカメラに見守られる中で、街の安全と美化に奉仕するようになったのだ。ただ、そうしたアートに対して、ある人は魅力のないものはそのうち消えるので放って置けばいいというかもしれないし、その立場性に明確に決別するアーティストも多くいるだろう。けれどもアートが自らの立場を検討せずに「自立性」を失ってくると、それは他者の「自立」をも阻害するものとしてあらわれる。そのためただアートと割り切って無視しえない次元にきているのだ。
 以下に見るような西成特区構想におけるアートプロジェクトはまさにそうした側面が強い。ここではアートが社会貢献の名目で日雇い労働者や生活保護受給者の排除ではなく、社会的つながりの創出をうたうものである。端的にいうとアートはこれまで行政が主導してきた「社会包摂」の役割を担うものとして捉えられている(Ⅲ)。しかし一見聞こえのいい文句と裏腹に、次のような側面は見過ごされてはならない。①釜ヶ崎の住人に付与される「ネガティブ」キャンペーン、②アートによる「ポジティブ」な倫理的規範の押し付けがそこに垣間みられる。そしてアートによる諸々のプログラムは釜ヶ崎を周辺の観光地と変わらぬ「普通の街」へと作り変えようとしているのだ。

西成特区構想とコミュニティアート
 以下では社会包摂型アートについて述べていくが、ひとまずアートの文脈と関係する西成特区構想のキー概念について触れておこう。橋本前市長、松井市長が西成特区構想は、生活保護、治安問題、教育・子育て支援、住宅開発など多岐にわたる。しかし、そのなかでもイメージアップ戦略における釜ヶ崎のイメージ「怖い、汚い」を払拭するのに躍起になっている。そのようなネガティブな要素としてくくられるものを排除すべく使われる言葉が人口の平均化である(若年層、子育て世帯の呼び込み)。特に特別顧問の鈴木亘の発言は高齢者をスムーズに「退出させる」ことで経済活性を叫び(Ⅳ)、ほかの有識者も同様の論調で、釜ヶ崎は「高齢化」、「人口減少」によって衰退化していくので、新たな人口を呼び込む住宅開発、観光資源の発掘が緊急に必要であるという。しかし、これはあたかもカラフルな人々の顔ぶれを謳っているようで、軽薄な色彩概念と同様にそこに生活する人びとにとっての色彩の豊かさ=生活の豊かさを考慮するものではないのだ。それゆえ、これまで「寄せ場」が担ってきた流動する下層労働者の受け皿となる街は殆ど議論に挙がらない。(その一方で現状としては、警察と行政による野宿者排除と露天の撤去が激しさを増している(Ⅴ)。有識者らが想定するものはあいりん労働福祉センターの寄せ場機能の解体、移設と、それに代わるショッピングモール、マンション、屋台村構想など、いわゆる「ジェントリフィケーションの適用」(鈴木亘の発言)を念頭においた突飛な意見ばかりなのだ(Ⅵ)。今後、注視すべきはこのような「高齢化」「過疎化」の言葉によるレトリックであり、それは釜ヶ崎に限らずあらゆる地域の街づくりにも導入されていくだろう。
 ふたたびアートの文脈に話をもどそう。西成特区構想の中でのアートプロジェクトは「コミュニティアート」と呼ばれる。ここでいうコミュニティアートは、釜ヶ崎に限ったことではなく、同じ日雇の街である横浜の寿町でもすでに導入さている。そこではアートの様々なプログラムに参加することで、自らの能力を発見し生き甲斐が生まれ、他者とのかかわりによって豊かな生活をはぐくむものとして語られる。しかし、実際アートが入り込むことで住人にとって本当に幸せが持ち込まれるのか、そこにはすでに豊かさや幸せがありアートは逆にそれらを阻害するものにならないかという議論もなされている(KOTOBUKIクリエイティブアクションの項目を参照(Ⅶ)。その点を踏まえたうえで釜ヶ崎におけるコミュニティアートもまた現行の人の生活にどのように関わってきているのだろうか。
 釜ヶ崎も同様、表現活動を通じて住民をエンパワメントしていくケアーの側面がある。またプロジェクトで生まれた作品や住民自身(語り部)を「地域資源」と呼び、経済活性化に寄与するものとして捉えている。先述した「Breaker Project」の雨森信、アートNPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)の運営に携わる上田伽奈代は二〇〇三年からフェスティバルゲートで活動を開始し、二〇〇八年から釜ヶ崎内で四つの拠点(インフォショップ・カフェ、メディアセンターなどを運営)で活動を行っている。釜ヶ崎のアート系の活動ではよく知られている団体だ。そして先にみた「アート回廊」を計画中の松村嘉久を含めたこの三者が特区構想の会議に呼ばれコミュニティアートの方針を提示している。これはYoutubeの動画サイトで詳しく見ることができる(「第十回西成特区構想有識者座談会」)。ここでの発言をもとにありむら潜(釜ヶ崎のまち再生フォーラム事務局長・西成特区構想有識者)はアートの役割について次のように報告書にまとめている。

  • アートは具体的な社会包摂の手法を持っている
  • つなぐ、新しい人や考え価値に出会う・孤独な人、コミュニケーションが下手な人が多く、表現しあうことで仲間ができる
  • 自己肯定力が高くなり、自傷や攻撃性が低くなり傷ついた心を回復していく
  • 売り言葉に買い言葉といった喧嘩よりもいろんな受け止め方を学ぶ・前向きの生き方に変わる・住民が語り部、案内役となり地域資源を発掘する
  • 仕事が生まれる

 そしてここから連想できることとして、人に優しく、自分にも優しく、お酒は控えめに、暴力はやめましょう、独り言や、独りでフラフラ歩かないようにしましょう、街の美化、安心・安全な街を作っていきましょう、云々。こう見ていくと、アートによる街づくりは、いわゆる一般社会の健康的で文化的な生活/人間へと更生させ、経済活動に組み込こもうとしているということだ。他方で、「ネガティブ」なイメージとして現れる攻撃性、喧嘩などは更生すべき問題として、個人の心理的側面に還元される。ここにあるのはなんと幅の狭い生き方の提示であろうか。あるいは、行政にとって推奨される逸脱のない範囲での「自立」枠組みであり、これまでのケアの領域や、アートの表現の幅さえも狭められているのだ。この地でなされてきた様々な実力行動、社会運動を見れば怒り、暴力、野次、投石が街の歴史を作ってきたにもかかわらず、そうしたエネルギーの噴出をアートを使ってなるだけゆるく、温かく、穏やかなものへと封じ込めようとするのだ。その線においてアートは行政にとって都合よく利用され、取り込まれてしまうのだ。
 また、こうしたアートに見られる更生プログラムは、都市再開発と肩を並べて進められていく。それをよく現わすのは、最近都市政策の新たなキーワードである「レジリエンス」である。この言葉は心理学用語からきており、人が外的なストレスを受けた場合、それを跳ね返すしなやかさ、打たれ強い精神力を指している。先に見たアートはまさにこの「レジリエンス」をアートで強化しようとするものである。そして、西成特区構想有識者で近畿大学建築学部教員の寺川政司は、街づくりにこの概念を援用し、防災も兼ね備えた、多世代が交流するコレクティブタウンを構想中である。そして不動産業界と協力しあい、空き地がマッピングされ、今後投機の対象にされていくのだ。空白のままにできない精神構造は、高齢化、老朽化が街の欠損であり否定されるべきものとして扱われる。他者の内面にまで土足で踏み込み、問題と見なせば治癒し、強迫的に穴を埋めようとする態度。これが人に対しても、空間に対しても行使されようとしているのだ。
 以上、釜ヶ崎で行われているアートプロジェクトと西成特区構想の諸問題について矢継ぎ早に見てきた。最後に西成特区構想に関して補足すると、今年度の「観光振興・地域資源活用」が議題のシンポジウムでは参加した住民からは多くの批判が寄せられている。その一例として、アートに公金を使わないで欲しい、地域の将来について利益誘導の議論に集中し、住まいや医療について議論がない、新今宮の古くからある新聞屋(屋台)が撤去されたが、いろんな人が商売をできる街として多様性を保ってほしい、交流人口を呼び込もうとするとき釜ヶ崎の労働者の人権が守られているか考える必要がある、という意見が寄せられた(Ⅷ)。西成特区構想は二〇一七年度に終了予定だが、地域に住まう人々の観点に立って何度も検討されなければいけないだろう。しかし一方でこの特区構想とかかわりなく街づくりやアートが日常的に形作っていく意識や態度が、より持続的に影響を及ぼしていくのではないかと危惧している。口当たりの良い言葉や、丁寧な態度にこそ内在化されている「政治性」を今後も見逃さないように批判を行っていきたいと思う。


(Ⅰ)恐竜のおもちゃは動物園前一番街の商店街の空き地で行われた、藤浩志による「トイザウルス」。
(Ⅱ)飯島浩二による「カンシカメラメカシ」。
(Ⅲ)「第一〇回 西成特区構想有識者座談会 議事録」の上田假奈代の発言。
(Ⅳ)「西成特区構想テーマ別シンポジウム「観光振興・市域資源活用について」議事録」参照。
(Ⅴ)二〇〇〇年代初頭から二〇一四年までを切り取ってみても天王寺のカラオケ屋台の撤去、露店の撤去、労働者の住民票の消除(選挙権の剥奪)、花園北公園に警察OBの詰所設置計画、街頭犯罪の撲滅を目的とした監視カメラの増設(二〇一三年度予算一億円)、また今年に入って新世界のジャンジャン横丁入口の露店が追い出され、跡地に花壇と柵が設置された。
(Ⅵ)「第二回 西成特区構想有識者座談会 議事録」の寺川政司の発言、また同座談会の配布資料「西成特区構想有識者座談会の今後の議論の進め方について(案)」における鈴木亘の文章を参照。
(Ⅶ)河本一満と会場の参加者との対談「社会×アートプロジェクト 表現活動と社会が抱える課題の接近」、『アートプロジェクト 芸術と共創する社会』熊倉純子監修、二〇一四、水曜社、二三五―二三七頁を参照。
(Ⅷ)「第5回 専門部会(シンポジウム)の会場アンケート結果 2」を参照。

※本稿は『インパクション』195号(特集:ネオリベとサブカル――新自由主義文化から脱却するために)、インパクト出版会、2014年、70-76頁に掲載されたものである。