「北」からの移動者たち――「国民」をめぐる境界と排除

2017/07/15 くいしんぼう

 2016年の年末から2017年の初春にかけて毎週ロウソク集会に集まった人びとによってソウル中心部の路上が埋め尽くされ、朴槿恵前大統領の不支持率が90パーセントを越え、大統領弾劾の手続きが順を追って進められていっている状況のなかで、それでもなお大極旗を掲げながら朴槿恵前大統領を擁護し、ロウソク集会側を「反米、親北、共産主義の手先」と批判する人たちがいた。キリスト教保守主義者極右主義者、朴槿恵前大統領の父である朴正煕大統領時期のノスタルジーに浸っている人たちなどを中心にした、比較的年齢の高い層の人びとによって構成されているこの集団のなかに「脱北者」(以下、「」省略)と呼ばれる人たちも何名かいた。

 大韓民国憲法第三条では大韓民国が朝鮮半島で唯一の合法性を持った国家であり、国家の領土は朝鮮半島全体に及ぶと規定されている。この条項に従えば、北朝鮮地域から脱出して韓国に来た人たちは、北朝鮮政府によって不法に抑留された国民ということになる。実際、彼らが韓国に到着した際に提供される法的地位は、彼らが大韓民国国民であることを前提としている。ところが彼らは、他の人たちとはべつの名前で呼ばれる。その名が脱北者である。つまり彼らは法的には国民の地位にありながら、あくまで北から来た「異国人」として認識されているのである。1990年代後半から徐々にその数が増えはじめた脱北者たちは、どのような背景で危険をおかしてまで北朝鮮地域を離れ、どのような経路を通って韓国にたどり着き、そして韓国社会でどのように生きているのか。
 脱北者増加の背景には、1990年代の北朝鮮の経済危機が一つの要因としてある。1995年、北朝鮮地域は大洪水をはじめとする自然災害に見舞われ、1997年には1990年を起点にして約25パーセント以上も穀物生産が減少するなど、深刻な経済危機に陥る。特に北朝鮮地域内の北部山部地域や北東に位置する地域では、輸送経路が災害のせいで断絶し、配給が送られてこないという事態が発生した。こうした事態に対して政府は、「自力更生」や「難苦奮闘の革命精神」などを強調するものの、実質的な対策は講じえない状況にあった。こうした状況のなかで近隣の人々が飢えて死んでいくのを目の当たりにし、ある人たちは北朝鮮を脱出することを選択するようになっていった。
 脱出するにあたって、多くの人が踏む経路は北朝鮮北部に隣接している延辺朝鮮族自治区だった。この地域は、主に朝鮮半島北部の住民による19世紀後半からの間島への移住からはじまり、清朝、中華民国、そして帝国日本による「満州国」を経て、第二次世界大戦後の引き揚げ、国共内戦と中華人民共和国の成立、朝鮮戦争などの過程を経るなかで1952年に成立した朝鮮民族自治区である。北朝鮮と中国間で国境の画定はなされているものの、豆満江や鴨緑江を渡ればすぐに「越境」が可能であるために経済危機以前の時期からすでにこの河を行き来して、自治区の朝鮮族と北朝鮮住民が親戚関係を築いたり、当時経済的に貧しかった朝鮮族がその関係を利用して北朝鮮地域に入って生活必需品を売り、鉱物や健康食品などを買って中国に持ち帰り、経済活動をするという事例も多かったそうである。つまり、正確に言えば、国境線という観点からみたときこれらの地域は分離されているものと認識されるが、この地域で生活している人たちからすれば、言語や人脈、経済活動まで及ぶ一体的な文化地帯をなしており、それを「越境」行為として知覚する必要すらなかっただろう。そして1990年代の経済危機を迎えたときには、中—北間の移動にはすでにこうした文化的蓄積が存在しており、「自力更生」を唱えた北朝鮮政府もそれを黙過し、国境の取り締まりを積極的にしないなどの措置によって実質的に支援したのである。しかし、1990年代に入ってから北朝鮮地域から移動した人たちが、再び北朝鮮地域に帰るのではなく、中国国内に留まったり第三国へ移動するケースが増加する。そうした状況を見た中国政府は、以前なら中国に家族や親戚関係をもつものがいればすぐに発行していた訪問許可書の要件を厳しくするなどの政策を講ずることによって、本格的に国境の管理を強化するようになった。さらに中国内にいる不許可の脱北者の公安警察による取り締まりを強化することによって、朝鮮族と脱北者の間にも「境界」が引かれた。つまり、朝鮮族の人たちに対して脱北者を見つけたら警察に通報しなければならないという意識を持たせることで、朝鮮族と脱北者の間に意識的な「境界」を引いたのである。しかし、それでも脱北者たちは朝鮮族社会と協調的な関係を保っている場合が多い。1992年に中韓の国交が樹立されることによって、それ以降自治区の朝鮮族たちは多く経済移民として韓国へ渡ることになった。朝鮮族の人たちの移民によって空いた場所を埋めているのが脱北者であり、それは特に農村で目立つという。そしてそこに少しの間留まったあと、都市あるいは韓国、あるいは他の国に向かうというケースが多いのである。また、付言しておくべきことは、こうした移動経路のなかで中国内の朝鮮族の教会、あるいは韓人教会が大きな存在としてあるということである。ここで教会は、お金のない脱北者たちにその資金を渡したり、身柄を保護したり、韓国行きの情報を得られる空間として機能しているのである。もちろん教会だけが唯一のルートではなく、他にも多様なルートを通って、脱北者たちは韓国ないし第三国へ到達するということも注意しておく必要がある。
 こうしたルートを通って脱北者たちは、韓国にたどり着く。すでに述べたように、韓国にたどり着いた脱北者の人たちは、法的には国民という地位を提供される。しかし同時に、彼らは本当に脱北してきた人たちなのかを調べる尋問を受けて、「社会適応教育」を受けるために北朝鮮離脱住民定着支援施設ハナ院に入居しなければならない。こうした身元調査と教育の過程で、彼らは約3ヶ月あまりに及んで自分たちが脱北者であることを証明し、北朝鮮の現況や問題点などの情報を提供することによって、自分たちが北朝鮮を脱出しなければならなかった理由を説明し、「北」の体制を批判し、否定することを強いられるのである。また、その他にもハナ院の教育を終えて各地域の賃貸住宅に移り住むときに、その地域のハナセンターと管轄の警察署に自身の居住地を登録しにいかないといけなかったり、住民登録番号に脱北者用のコードを割り当てられることによって、番号を確認すればすぐ脱北者であることがわかるような措置を取られる。このような監視体制のなかで、脱北者は国家に従わなければ「スパイ」にされるのではないかという意識をもつようになるという。実際、国家情報院が北朝鮮に情報を渡したという捏造した情報をもとにし、脱北者を「スパイ」に仕立てあげるという事件も起こっており、それが「つぎはスパイにされるのではないか」という恐怖心を持つようになるのである。
 このように太極旗のもとにいた何名かの脱北者の背後には、幾重にも張り巡らされた監視網と、故郷を否定し大韓民国に従うように強要する力が作動している。彼らは、たえず国家に忠誠を誓っているということを身振りで示すことを要求されており、その限りで「国民」として認められる。太極旗側についた何名かの脱北者の人たちは、なぜ政府を擁護する側に回ったのかという問いに対する究極的な理由はわからない。しかし、彼らをロウソクの方へではなく、太極旗へと向かわせた背景に、「国民」であることの忠誠を証明せよという国家の力学が作動し、その力を敏感に読み取ったがゆえに、政府を擁護する側にまわってしまったという可能性を退けることはできない。そうした意味では、「国民」という装置にはつねに国家への忠誠を要求する論理と排除の論理が内包されていることを純粋な形で再確認させてくれる事例でもある。
 ここでは韓国でのうねりのなかから、よく主題にされるロウソクデモ側ではなく、前政府を擁護する立場にまわった人たちのなかにいた「脱北者」の人たちの姿と、その背後にある文脈を素描しようとしてきた。高秉權氏によるコラム同様、直接にジェントリフィケーションに関係している問題ではないが、主に都市空間で行われた大衆行動のなかに現われていた力学を分節化し、見極めることにつながると思われる。また、日韓共に運動のアイデンティティが「国民」という形象によって立てられる傾向が高まりつつある現在において、そうした呼称がつねに孕んでいる排除の論理を把握するという点においても、議論の幅を広げるのに有用であると思われる。

※本稿を作成するにあたっては、キム・ソンギョン氏の一連の研究(김성경「분단의 마음과 환대의 윤리:’태극기’집회 참가자들과 탈북자를 중심으로)(『민족문화연구 제75호』,2017),「경험되는 북・중 경계지역과 이동경로」(『공간과 사회 제22권 2호』,2014),「분단체제가 만들어낸 ‘이방인’, 탈북자」(『북한학연구 제10권 제1호』2014),「이곳에서 탈북자 사유하기」(『말화활 11호』,2016))、権香淑『移動する朝鮮族』(彩流社,2011)の1、4章、伊藤亜人『北朝鮮人民の生活 脱北者の手記から読み解く実相』(弘文堂,2017)を部分的に,そして『ハンギョレ新聞』2010.11.15 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/6449.html、『프레시안』2014.3.14 http://www.pressian.com/news/article.html?no=115413 を参照した。