トリノの路上から(2)白煙の中で――トリノG7労働相会合反対デモ記録

2017/10/05 しろー

G7がやってきた!
 9月も終わりに近づき、トリノもすっかり秋になってきた。仕事も見つからず、というかあまり探す気にもならずバカンスボケのまま、1ヶ月が矢のように過ぎ去っていく。仕事、家庭、自分の人生にうんざりしている。そんな日々をふきとばすように、G7労働相会合がトリノで開催され、それに反対する人々によるデモが連日行われた。今回はそこで見たこと聞いたことをここにレポートする。

なんでデモに参加するの?
 自分は現在シェアハウスに住んでいる。8人の同居人のうち学生と労働者が半々で、家賃は普通の下宿の半分ぐらいだ。G7が近づき、学生の同居人たちに「デモに行かない?」と誘ってみると、「もちろん行く!」と即答したのが2人、「そもそもなんで反対しているの?」というのが1人だった。そこでたまたま遊びに来ていた同居人の友達も交えてみんなで議論になる。G7とはなにか、今回はなにについて話されるのかetcetc…。結局デモ参加派の勉強不足が露呈して、自分にお鉢が回ってきた。「あなたはなんでデモに参加するの?」という質問にイタリア語で答えるのはとても難しい、日本語でもちゃんと説明するのは不可能かもしれない。
 『G7参加国というのはみんなが投票で選んだわけじゃなくて、非民主的な会合でしかないのに大事なことが決定されて…』『いや実際はG7はもはや何も決定することはできないただのお茶会になっているんじゃないか…』などと色々なデモの意義を考えたが、結局「道路の真ん中を歩くのって最高だよ」「普段えらそうにしてる警察に文句が言える唯一の機会」「とにかく自分のムカついてることを人々と話し合うのに最適」などと答えるのが精一杯だった。
 知っている人も多いと思うが、ここイタリアでは2001年にジェノヴァ・サミット(当時はG8)が開かれ、サミット反対デモに参加した青年カルロ・ジュリアーニが警察に射殺されるという事件が起こっている。警察の暴力によって守られた非民主的な会議(ハンブルグで今夏開催されたG20では市民と警察の大規模な衝突があった)ということ以外にも、サミットを迎える都市は警察で溢れかえり、開催前には「浄化作戦」が行われることも問題だ。ここトリノも各国首脳を迎えるために夏前から市政府により様々な対策がとられてきた。

G7と都市浄化作戦
 以下に今年トリノで行われた、おそらくG7開催にも関係しているとみられる都市浄化作戦を見聞きした限り挙げてみる。

  • 春、市中心部の若者があつまる3つの地域で夜20時半以降の酒類の販売・持ち歩きが禁止される。バーは営業可能。これにより該当地域内の主に移民の人達が営むミニコンビニが大打撃を受ける。彼らの主な収入源は格安の酒。
  • 6月、学生のたまり場で、社会センター〈Askatasuna〉の目と鼻の先にあるサンタ・ジュリア広場を警察が襲撃。市民を殴打。上記罰金付き条例の施行後、広場を見回りに来た警察を若者が集団で追っ払ったことがあり、その報復だと思われる。この日は昼からAskatasuna前に警察が隊列を組み、挑発しておいて夜に全く関係のない広場へ襲撃をかけた。何人かの社会センター関係者が逮捕される。分別する必要はないが殴られたのは普通に飲み来ていた市民で、子供の誕生会が開かれていたバーでは、女性店員まで殴打されていた。翌朝トリノ市警察トップは「暴力社会センターを排除すべき」という声明を出した。
  • 6月、女子大学生活動家が街で検問にあったさい「お前のことはよく知ってるぞ」と警察に言われ、不当に連れ去られ拘留されリンチを受ける。またポルタパラッツォという移民・難民の人が多いゾーンで警察がアフリカ系の若者を流血するまで殴打。トリノで警察の暴力が激化し、全イタリアで特にフェミニストグループによる反暴力キャンペーンが貼られる(例えば https://nonunadimeno.wordpress.com/)。
  • 9月16日、主にアフリカ系の移民・難民たちが多くたむろするヴァレンティーノ公園で薬物捜査のBlitz(電撃一斉捜査)。16人逮捕。
  • サミット期間中トリノ市内の路上で働くセックスワーカーがいなくなる。

更にサミット期間中は閣僚が宿泊しているとみられる市中心のホテルの周囲数キロが「レッドゾーン」に指定され封鎖。デモ隊はおろか市民も入れなくなる。その他にも友人が駅で職務質問をされ靴下まで脱がされたりと、サミット開催中トリノ市は戒厳令下のような状態になった。

Tout Le Monde Déteste La Police!
 トリノの住民もサミットに対して黙っているわけではない。週末に開催されたサミットに対し、木曜から市内を流れるポー川のほとりで〈Sinistra Italiana〉主催の《99%の祭り》が開かれた。金曜夜にはストリートパレード《Reclaim The Street》が行われ、トラック4台、1000人以上が参加したサウンドデモ(音楽はHIP HOP、TEKNO、TRASHなど)は「レッドゾーン」に侵入しようとするも警察に阻まれ一時間以上ヴィットリオ・エマヌエーレ通りを占拠。市内の交通を完全に麻痺させた。
 金曜のサミット当日には、市内で学生デモがうたれた。サミット自体はトリノ市郊外のヴェナリア離宮で行われているが(これも人々を怒らせる十分な理由になった。あるデモ参加者曰く「金持ち(閣僚たち)は宮殿で美味しい食事、俺達は失業して路頭に迷う」)、学生は市内を行進することを選んだようだ。「もう一つの世界は可能だ」「今日、トリノは我々のもの」と叫ぶのは高校生ぐらいの若者たち、レッドゾーンにさしかかると先頭を行く大学生や市民グループは警察の阻止線を突破しようとして警棒で殴打された。デモ隊と警察のにらみ合いが続く中、間に割って入ったのはNO TAVの旗を持った人たちだ(このデモは途中でNO TAVグループのデモ隊と合流し500人以上に膨れ上がっていた)。デモ隊はレッドゾーン侵入は諦め大通りを進む。途中友達の家の前を通り過ぎるとみな窓から見ている。「降りてこい降りてこい!今日はデモだぞ!」という歌に促されて友達たちも参加してくる。ヴィットリオ・エマヌエーレ広場につくと、また先頭で騒ぎが起きる。見に行くとまたも警察と睨み合っている、この時実は阻止線の穴を突破し何十人かがレッドゾーンに侵入したらしい。警察の大失態だ。どこからかフランス語の「Tout Le Monde Déteste La Police!(全世界が警察大嫌い)」の声が上がり、大合唱になる。その後デモ隊はトリノ大学の校舎に突入し「月曜まで占拠する」と宣言した。
 午後遅くからは市民グループ主催のデモがあり、一部はレッドゾーンに接したポー通りを行く途中、花火を発射し警察に一人逮捕された。
 ポー通りにある元王宮の厩を占拠した社会センター〈Cavallerizza Irreale〉では〈Radio Black Out〉主催の反G7パーティーが深夜まで開かれていた(音楽はHIP HOPだった)。

白煙の中で
 土曜日。一番大きなデモがあると聞いてヴァナリアへ。この日は2000人以上が参加しトリノ郊外のG7が開かれている宮殿へ向かう。デモ中ヴェナリア出身の友人が一つ一つ建物を指差し「あれは公営住宅」「あそこはマフィアの住んでる公営住宅」などと教えてくれる。「生きてるうちに俺達の街で大規模なデモが見られるなんて思いもしなかったよ」「こんなクソな街はすべて燃やし尽くしてしまえばいい」などと不穏なことをつぶやくわれわれのガイドとともに何もない道を二時間ほど歩くと、ヴェナリア離宮のすぐ近くの広場に出た。
 広場は来た道を除き完全に封鎖されていた。三方にある出口にはすべて機動隊のトラックと、簡易式の柵が据え付けられ、フル装備の機動隊が配備されている。武装警察が今にも襲い掛かってきそうな緊張感の中、広場の真ん中にでたデモ隊は用意していたギロチンを持ち出し、イタリアの労働相ポレッティを模した人形の首を落とした。このろくでもないパフォーマンスの後、デモ隊の一部が広場の正面出口、つまりサミット会場へ続く道へだんだんと近づいていった。彼らが押しているスーパーマーケットのカートの上には、クロワッサン型のパペットがのっていて、これは労働相ポレッティと、ピエモンテ料理の「polletti allo spiedo」の名前をかけたジョークらしい。このカート群を先頭にゆっくりと機動隊に近づく先頭集団。恐ろしいほどの緊張感。冷たい不思議な静寂がつづいたあと突然金属音がした。警察がデモ隊を殴り始めたのだ。パニックになり逃げ惑う人々、冷静になるよう呼びかけるデモに慣れた人もいる。ふと気がつくと、この時すでにデモ隊の中に全身黒づくめで覆面にサングラス、そしてフードを被った少人数の集団(Black Bloc)が複数登場していた。彼らのうちの何人かはすぐに花火を投げ始めた。花火の炸裂音が広場に響くとパニックは加速し、そこに玉ねぎのような異臭が立ち込める。警察が放った催涙ガスだ。涙が止まらないのはいいとして、鼻や口からガスを吸い込むと呼吸ができなくなる。ちょうど運良くポケットにレモンが入っていたのでそれを目の周りに塗りながら後退していると横にいたアナーキストのおじさんが「塗るんじゃない!かじれ!」と怒鳴ってくる。一口かじる。効果は何もないよりマシなぐらい。すぐにとなりにいた誰かにレモンを渡し、呼吸ができる場所まで後退する。「さあ新鮮な空気を吸ったらもう一回だ!」と再度の広場への前進をうながす声がする。また別の集団が、道路の真ん中で円陣のようなものを組んでいる。数秒すると円陣の真ん中から発煙筒の煙があがりはじめる。あたりは発煙筒と催涙ガスとで真っ白だ。二度目の広場への突入は散発的に花火が打ち込まれただけで、すぐに警察による放水と催涙ガスをくらってデモ隊は来た道を再び引き返していった。
 「こんな暴力的なやり方では意味がないわ」。デモに一緒に参加していた同居人が警察に花火を投げつけたBlack Blocに対し怒っている。「私だけじゃない、デモの後ろの方にいた労働組合の人たちもカンカンになって、途中でみんな帰っちゃったのよ」「何を言ってるんだ。暴力をふるったのは警察の方で、彼らはそれに抗議して花火を投げただけじゃないか」。一時間ほどのカオスの後、もと来た道を帰る道すがらまた議論になった。ドイツやフランスの抗議に比べれば今日のデモは全く穏やかな方だと思う。ましてや日本は…。
 三日間続いたサミットへの抗議は終わった。今回は労働相会合ということでいまいち反対する側も盛り上がりに欠けていたが「とにかく、〈何か〉はやったさ」という友達の言葉通り、街やデモをコントロールしようとする警察に対しての激しい抗議はなされたし、特に全国から来ていた若い学生たちは頑張っていたように見えた(「今すごく若者の間で共産主義者がふえている」とも聞いたが)。
 デモから街へ帰ると、市の中心はあいかわらず沢山の警察で溢れていた。しかし繁華街ではみないつものように店を開け、人々は何事もなかったかのように買い物を楽しみ、バーで乾杯していた。テレビのニュースでは、デモ隊の一人が警察への暴行容疑で逮捕されたといっていた。

アンドレアはどこ?
 日曜日、サミットの終わったトリノでは、土曜のデモ後に逮捕された人々への激励行動が組まれていた。ヴェナリアの近くにある巨大な刑務所まで200人ぐらいが行進していく。たどり着いたのは刑務所横のだだっ広い畑だ。一緒に歩く人の中にはアフリカやアラブからイタリアにたどりついたであろう若者や母親たち、そして小さい子供なども多い。なぜか聞くと、昨日警察への殴打容疑で逮捕された人は移民・難民の人々が暮らす不法占拠の活動家で、NO TAV運動にも熱心に取り組んでいたのだということを誰かが教えてくれた。目の前でアフリカ系の小さい男の子が、NO TAVの横断幕を持った女性活動家と話をしている。
「アンドレアはどこ?」
「あの中よ」
「遠くて全然見えないね」
「そうね、でもきっとすぐあえるわよ」
別のアフリカ系女性はマイクを握るとこういった。
「アンドレアはそこにいるべきじゃない。今すぐ帰る。私たちといっしょに家に帰る」
「アンドレアに自由を!自由を!自由を!……」
 抗議活動は2時間ほど、刑務所の塀を叩いたり花火を打ち上げたりして帰った。時おり中から誰かがこちらに手を降っているのが見えた。