トリノの路上から(1)NO TAVについて

2017/10/01 しろー

 あるパンフレット、不可視委員会刊行の『われわれの友へ』の中に、アルプス・スーザ渓谷での反新幹線運動について触れている部分があった。
 北部イタリア・トリノに住んで2年、家から電車で1時間ほどのスーザ渓谷(アルプスのなんでもない普通の村だ)にはデモ、集会、フェスティバル、キャンプのために頻繁に訪れていたけれど、このイタリア全土と一部フランスを巻き込んだ巨大なムーブメントが何なのか、深く考えたことはなかった。だけど現在進行系の世界中の「蜂起」を扱った不可視委員会のパンフレットが、この運動について特にページを割いて説明していて、自分としてもかなり腑に落ちるところがあったので、つたない文章だけれどここに少し自分の経験を交えて紹介したいと思う。
 ちなみに自分は現在無職で、ジェントリフィケーションの研究者でもなければ専門家でもなく、名のる名もない不逞分子、ひきこもり、都市に寄生するタダの「フリーター」である(この肩書を名のれるのも34歳までと知って今驚愕している)。したがって文章中の表記の正しさや年代の正確さ、事柄の確かな意味については保証したくてもできないし、ネット上にゴマンとイタリア語・英語の文章が転がっているのでそのへんは各自で適当に検証し補ってほしい。

 さて、

 あまり知っている人は多くないかもしれないが、イタリアでは反新幹線運動〈NO TAV(Treno ad Alta Velocità=高速新幹線)〉がとても有名で、各左派および一部リベラル、また一部宗教家、あるいはポピュリズム政党などの共通の合言葉になっている。
 アルプスをトンネルで貫き、トリノとリヨンを新幹線で結ぶという前時代的な計画がでたのは1990年代。トリノ市中心から約60キロ離れた山の中、電車で1時間ほどの場所にあるスーザ渓谷、Venausがそのイタリア側の工事現場だ。小さな町、村々、修道院や教会が点在し、修道院の収入源である栗の木が守られ続けている美しい渓谷。Wikipediaによると、「はっきりといつ始まったかは定かでない」が90年代にはすでに住人らによる反対運動が始まっていた。
 『われわれの友へ』にも書いてあったが、ここの反対運動はとても特殊だ。労組、アナキスト、コミュニスト、ヒッピー、教会関係の人たち、そしてスーザ渓谷の住人が奇妙に同居し、今のところ各グループ間に運動をめぐる大きな亀裂がないようにみえる。

 例を挙げると、毎年夏には巨大な野外フェスティバルが工事現場の真横で行われる。《Alta Felicità》(最高の幸福)と名付けられた反新幹線フェスティバルは3日間続き、子連れ、学生、労働者でごった返す。宿泊するにはテントを持ち込む。99posse、Subsonicaなど来ているアーティストも豪華だ。街ではノンポリの学生の間でもフェスティバルに行くのが流行になっていて、巨大なステージや照明セット、地元の人たちの物販店など見た目は商業主義の野外フェスと変わらない。全部カンパ制か安い値段で入れ、飲め、飯を食えることを除けば。
 そしてこのフェスティバルの開催中、夜間に何人かが徒党を組んで工事現場へ破壊工作に行く。非暴力の抵抗だ。待ち構えている警察は放水や殴打、逮捕で答える。
 ここでは子供連れのキャンプと非暴力直接行動が同時に行われている。地元のおじいさんがチーズを売る横で受付をしているのはトリノのアナーキストたち。コミュニスト学生は労働者と一緒に来ている。誰かが直接行動で逮捕されても、即座に救援行動が組まれる。日本の運動のように、「一部の過激派」がやったことだと逮捕者が運動から非難され、切り捨てられることは今のところない。
 スーザ渓谷の出口にあるサン・ミケーレ修道院へ続く山道で会った犬を連れた老人は、スーザ渓谷の歴史を「権力への抵抗だ」と簡単に説明してくれた。中世から続くスーザ渓谷の修道院の、あらゆる時の政権への土地をめぐる抵抗が、NO TAVの運動の根底にあるという。「この渓谷を選んだのが奴らの失敗だったね」と老人は笑いながらいった。自分たちがデモに参加したことを伝えると「君たちも仲間だったのか!(我々の一人だったのか)」と嬉しそうに握手してくれた。

 左派の強いトリノの近郊ということも手伝ってか、今やNO TAV運動は小さな谷の問題を飛び越えて、全イタリア、そしてフランスの問題になっている。NO TAVは日本でいう三里塚のような、辺野古・高江のような存在だということもできるかもしれない。鉄道建設予定地の土地をみなで買い取り地主になる、日本でいう「一坪地主」のような作戦も取られているなど日本の運動との共通点もある。また、NO TAV側からの要請で、日本とイタリアの人達による平和団体を通じて、祝島の工事妨害損害賠償の和解決着の顛末がイタリア語に翻訳されるなど、NO TAVは日本の反開発運動との接点もある(参考:“Movimento contro la costruzione della Centrale Nucleare di Kaminoseki”「TomoAmici 朋・アミーチ」2016/10/11)。
 イタリア中のあらゆる街の壁に、小さな村の塀に「NO TAV」の落書きを見ることができる。何もない山間部を数万人が歩くデモには南部イタリアからも送迎のバスが出て、学生は電車で乗り継いでやってくる。デモ隊をスーザ渓谷にある自治体の旗が立てられた村役場のトラックが先導する。労組や政党の旗に加えて各地域の開発の問題を訴える旗も出ていて、近年ではアドリア海の石油掘削反対〈NO TRIV〉、アゼルバイジャンと南イタリア・プーリア州をつなぐパイプライン反対〈NO TAP〉、シチリア島での米軍による衛星通信システム建設反対〈NO MUOS〉などの開発反対運動もはるばるデモに参加しに来ている。彼らはNO TAV運動に学ぼうと連帯にやってきたようにも見える。

 この前家に水道工事に来たおっちゃんが「この家にはNO TAVの横断幕がないから、右翼学生のシェアハウスに来たのかと思ったよ」と冗談を飛ばすほど、トリノのほぼすべての友達の家、特に若者のシェアハウスなどにはNO TAVのバナーが貼ってあるか、ステッカーがある。〈Dynamo Dora〉というトリノの「人民」ラグビーチームのTシャツはスクラムを組んだ人々が、新幹線を止めているというデザインだ。夏以外にもいろんなイベント(直近にやったのはハッカーミーティング、自然観察会、民家の壁へ壁画を書くイベントなど多様すぎてなにが行われているのかすべて把握しきれないほど)がVenausの団結キャンプ場で行われていて、テントを背負って週末スーザにキャンプに行くのはトリノの「オルタナティブ」な連中のトレンド化している。若い活動家やヒッピーの中には、スーザ渓谷に移住して生活し始めた人も多くいる。
 街では世界宗教者平和会議のような団体ですらバルコニーにNO TAVの旗を出し、五つ星運動の代表のようなポピュリストもスーザにいったことを自慢げにブログに書くほどだ。

 この運動の盛り上がりは、現在も反対する農民や学生、労働者に対する強烈な弾圧がつづき、最近では卒論にこの運動を取り上げただけで逮捕勾留された事件が起こっているという事実を感じさせないほどだ。はっきりいって田舎の、アルプス山間の新幹線反対運動がなぜここまで大きく、イタリアの国政に影響を及ぼすところまでいったのか、なぜ各々の主張も政治スタンスも違う人々がそれぞれ好き勝手な方法でNO TAV運動に携わることが可能なのか、自分にはまだまだわからないところがたくさんある。拙いイタリア語で見聞きしたことなのでこの文章には間違っている点も多いかもしれないが、とにかくNO TAV運動には、学ぶというか、考えるべきことが沢山あると思う。誰か真面目に研究したい人がいればぜひこちらに来ることを強くおすすめします。

 写真とかは以下のウェブサイトで!
 http://www.notav.info/